人類進化の大きな画期となった「ことば」の発明
人類は、「ことば」が使用される以前、意思疎通を表情、身振り、叫び声でやり取りしていたわけです。ノンバーバルコミュニケーションですね。
アメリカの心理学者メラビアンが実験したところによると、意外なことに、話し手が聞き手に与える影響のうち、視覚情報が55%、聴覚情報が38%を占めていて、言語情報はわずか7%に過ぎなかったようです。
7 ブログを始めた動機
先日、当ブログに関し知人から声がかかりました。えらいことを始めたね、何でまた、と……。
実際に他人の目に留まったかと思うと、初回の宣言(2019年3月28日)が格好良すぎて気恥ずかしい......。その時にブログの趣旨は記したので、今回は、執筆に到った些末な動機について、整理してみました。備忘のためです。
実は、1年半以上前に古代史本を出版しました。気負っていて、書きたいことが一杯あったのに、紙面の制約から原稿の相当部分を割愛して上梓。
おまけに、ひとつの書籍として起承転結の形に纏めあげることに注力し過ぎ、詰めの甘いところを多々残したままでした。
悔いることしきりで、今でも不完全燃焼の作品に欲求不満が残っています。
6 『古事記』の「序」について
天武天皇が、『古事記』と『日本書紀』の編纂をほぼ同時に命じたことについて、次のように説明されることが多いですね。
「古事記は国内向けで天皇家の私的な歴史書であるのに対して、日本書記は国外を意識して編纂された公式の歴史書である」。
筆者は、この子供だましのようで、こじつけとも思える解釈に、何となくしっくりこないものを感じていました。
5 『古事記』に対する極端なスタンス
『古事記伝』について
『古事記』の注釈書である『古事記伝』を著した本居宣長は、それまで埋没して顧みられなかった『古事記』を江戸時代末期・近現代に蘇らせた功労者です。
『古事記伝』がなければ、現在の古事記研究は存在しなかったでしょう。
4 超人、稗田阿礼がいたとしても……
『古事記』の編纂には謎が多いし偽書だとする説もあります。『古事記』が、江戸時代後期まで、表舞台にほとんど登場せず埋没していたのに対し、『日本書紀』の方は、編纂の翌年から平安期まで、官僚の教科書として機能してきました。
それはともかく、今回は稗田阿礼の誦習(しょうしゅう)について考えてみます。