自然障壁が邪魔をする古代日本では、陸路だけで遠方の目的地や山深い奥地に到達するのは困難なことでした。
陸路の代わりに遠隔地を結んだのは地乗りによる沿岸航海であり、そして内陸部へは河口から遡る河川舟運があり、さらにその奥地にも舟越道などが存在し、細い交易路が遠近各地を網目のように繋いでいました。今回はその実態を確認してみます(このうち、航海については稿をあらため言及予定)。
44 3、4世紀頃までの古代道
<山越えの径>
『記・紀』を読むと、弥生時代から5世紀初めまでの日本列島で、軍隊や権力集団が遠征したり広域移動する記事が頻出します。難所に遭遇したかのような描写もありますが、その詳細には触れておらず、大集団にしては大した困難もなくスムーズに移動できたようにも受け取れます。
実態はどのようなものだったのでしょうか。
43 飛鳥、奈良時代の道路
すでに何度も触れてきましたが、政治勢力統一のプロセスを検討するに際して最大の与件となるのは陸上交通です。
今回から、第23回ブログで予告した「古代の道路」について掘り下げていきます。3、4世紀以前の道路に言及する前に、まずは飛鳥・奈良時代の道路について概括します。
42 ギリシャの空間構造に似た日本列島の地形
<ギリシャの地形図>
ギリシャの空間構造に似た日本列島の地形
前回のブログで言及した「脊梁山脈の縦貫・分断された国土・狭く少ない平野」に関連して、松木武彦氏による興味深い論考を見つけました。当ブログにとって大切なポイントなので、少々長くなるが要点を記してみます。
41 脊梁山脈と細分化した空間
<脊梁山脈>
魔法の絨毯に乗って移動?
筆者は声を大にして言いたい!
3、4世紀頃までの自然の姿を考慮しない古代史は、すべて真の古代史ではないと……。
研究者が提示する多くの古代史は、当時の自然の姿に無頓着か、それにはあえて目をつむっているようです。もちろん『記・紀』においても同様です。