理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前2世紀頃から6世紀頃までの古代史を再考する!

57 古代の瀬戸内海航行

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 実に多くの研究者が、瀬戸内海は古代から(研究者によっては縄文時代からとも)「歴史的な物流ハイウエイ」だったと述べています。
 確かに多くの文物が行き来し、文化が伝播したことは間違いありません。
 しかし、5世紀以後ならともかく、それよりも前の時代に、他の交易路よりも抜きんでたイメージを持つ「物流ハイウエイ」という呼び方はまことに不適切!
 大規模物流や政治的な合従連衡に瀬戸内海交通が重要な役割を果たすのは5世紀以降のことです(第40回ブログでさらりと触れました)。

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56 古代の帆船

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古代日本で帆船は実用に供されたのだろうか
 外洋を手漕ぎで進むのは体力的に厳しい。でも外洋をまたいで往来した証拠はあまりにも多い。こうしたことから、古代日本においても、外洋は帆船で航行したという説を唱える研究者が大勢います。しかし日本では、中世より前に帆を立てて風に頼る航海が安定的にできたとは考えられません。

 現代のヨットは、風上に向かって斜め45度くらいの方向に進むことが可能です。しかし古代船では、平底という構造上の特徴から横流れを防止できず、いかに適帆をしても逆風帆走は困難。つまり順風の時しか帆走できないのです。
 帆走はこの順風が吹くわずかな機会を待って行なうしかなく、実用にならなかったわけです。

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55 準構造船(2)

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 前回の続きです。

舟形埴輪のフォルムよりもシャープで軽かった準構造船
 
準構造船は、刳舟(丸木舟)を前後につないで長くした複材刳舟の両舷に舷側板をつけて深さを増し、積載量と耐航性を大きくしたものと定義されます。
 20~30人が乗れた可能性があり、帆船であれば手漕ぎと風力が併用できたともいわれます。しかし古代船は構造上、順風しか受けられないため、帆走は風が吹くわずかな機会を待たねばならず、実用には向かなかったはずです(次回のブログで触れる予定)。

 準構造船のフルスケールの出土例はまだありません。断片は見つかっていますが、3世紀以前の遺跡からは断片すら出土していないのです。筆者は準構造船の登場を過大評価すべきではないと考えます。
 舟形埴輪が、実在した準構造船を忠実に表現しているのか、大いなる疑問を禁じ得ません。

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54 準構造船(1)


f:id:SHIGEKISAITO:20200413094600j:plain <一支国博物館の準構造船復元模型>

実は謎の多い準構造船
 弥生時代後期、ないしは3世紀頃から現われたとされる準構造船について、実態はどのようなものだったのか考察してみます。
 技術の発展段階による船の7分類(第52回ブログで言及)を再掲します。

 船体の特徴から、
① 単材刳舟
② 複材刳舟
③ 準構造船
④ 箱型構造船
⑤ 日本型構造船
⑥ 中国型構造船
⑦ 西洋型構造船
に分類し、さらに①②を刳舟、②③を縫合船、④⑤⑥⑦を構造船と大括りしています。

 『日本書紀』にはスサノオノミコトが杉と樟を造船用と定めた記事が載っている(第51・52回ブログ)。その樟は幹が太いため幅広の船体をつくるのに都合が良い反面、低いところで枝分かれするため長い材が取れない。
 そこで刳舟(丸木舟)部材を前後につないだ複材刳舟が生まれたとも言われます。

 準構造船は、その複材刳舟に舷側板を付加して深さを増し耐航性を高めた船体のことを指します。

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53 丸木舟の製作と外洋航行を科学する

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丸木舟の製作は困難を極めた!
 縄文から弥生時代にかけて、丸木舟(刳り舟)は次のように製作されていたと想定されます。
 単材の丸木舟を1艘製作するには、まず石斧で最低でも太さ1メートルくらいの巨木を伐り倒さなければならない。
 その石斧ですが、旧石器時代に使われた打製石器の握り斧に対し、縄文時代の柄をつけた石斧(柄と刃先が平行になっている縦斧)は、打撃力が10倍になると言われています。
 第27回ブログで言及した国立科学博物館の実験では、太さ1メートルの巨木を伐採するのに縦斧を36225回も打ち込んでいます。大勢で交代しながら6日間にわたって打ち込んだらしい。単純計算で6秒に1回打ち込んだことになります。大変な労力!

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