理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前2世紀頃から6世紀頃までの古代史を再考する!

71 古代シナ人の世界観

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 前回、邪馬台国の所在地の謎を解明するには、『魏志倭人伝』が書かれた当時のシナの地理観・世界観・天下観を確認してみる必要性に触れました。
 筆者は、邪馬台国の所在地を検討する場合は、これから述べる内容を一丁目一番地として、すべての研究者が共有すべきではないかとさえ思っています。

 

『東夷伝』執筆当時の古代シナ人の世界観
 古代シナの世界観について、仁藤敦史氏と吉松大志氏の論考を参考にしながら纏めてみます。
 仁藤氏は邪馬台国の位置は、倭人伝が含まれている『魏志東夷伝』全体の「序」に書かれた当時のシナの地理観・世界観・天下観を前提に考える必要があるといいます。

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70 邪馬台国はどこにあったのか?

f:id:SHIGEKISAITO:20201201150324j:plain <佐賀平野を吉野ヶ里遺跡へ向かう(前方は脊振山地)>

 令和3年になりました。
 初夢というわけでもないですが、正月にふさわしく、「楽しい?」テーマを取り上げてみようと思います。
 筆者は、日本の古代史を俯瞰する際、邪馬台国の所在地はもちろんのこと、邪馬台国の存在そのものについてもあまり重視していません。しかし、世の中の喧騒をよそにまったく触れずに過ごすわけにもいかないので、今回から数回は邪馬台国関連ということで綴ってみます。

 筆者が「邪馬台国」に関心を持つようになったのは2009年、「一宮めぐり」を始めた直後ですが、奈良の「大神(おおみわ)神社」に参拝した折、箸墓古墳が卑弥呼の墓所だという論拠に違和感を持ったことがきっかけです。
 そして、2012年秋、「一宮めぐり」の一環で九州各地を訪れた際、吉野ケ里遺跡と西都原古墳群を見学したことで、いよいよ「邪馬台国」への関心が強くなりました。

 その後、精力的に研究しましたが、所在地を大和盆地に比定しようとする考古学者を中心とした強引で不毛な動きに嫌気がさし、今や筆者の中では大きな関心を占めるテーマではなくなりました。
 古代史のブログを始めたので、今回、久しぶりに今まで蓄積したことを綴ってみようと思った次第です。

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69 海部氏と本系図・勘注系図

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 <丹後国一宮 籠神社の神門>

  前回・前々回は代表的な海人族の活躍についてレビューしたので、今回は丹後海部氏について言及することにします。
 筆者は、2011年、2013年の2回、海部氏が宮司を務める丹後国一宮「籠神社」に参拝しているので、その旅行記を兼ねて綴ってみます。

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68 古代のダイナミズムを生んだ海の民(2) 

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  <住吉大社 第二本宮本殿>

 前回に続いて、海の民について言及します。

 津守氏について
 安曇氏や宗像氏は、先進地域であった朝鮮半島から鉄器をはじめとする文物の輸入に深くかかわることでヤマト王権の権力基盤の強化に貢献してきました。
 しかし6世紀になると、鉄の国産化が本格化して朝鮮半島との交易の重要性が薄れ、さらに562年、交易拠点だった伽耶が滅亡することで、海部を独占していた安曇氏の凋落が始まります。

 これに乗じて海部だった諸氏が台頭した。
 名古屋辺りを拠点に尾張氏、丹後には海部(あまべ)氏が、さらに膳(かしわで)氏(のちに高橋氏)が若狭や志摩を支配して王権への水産物供給者の地位を確立、安曇氏から派生した凡海(おおしあま)氏が丹後や周防を拠点に活動するなど、海の民を出自とした豪族が台頭した模様。

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67 古代のダイナミズムを生んだ海の民(1)

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 弥生時代末期から3世紀頃までの日本海側の交易について概括したので、今回は、第52回・53回ブログで予告した「海の民の活躍」について考えてみます。

チャレンジ精神で交易を担った海民集団
 現在の日本は、4つの大きな島を含め合計6852もの島から成りたっています。
 これだけ多くの島を抱える国は、インドネシアやフィリピン以外にはない。海の民はこれら多くの島を拠点とした。彼らの活躍なくしては、古代日本の発展はあり得なかったでしょう。
 すでに第38回と第53回のブログで言及したように、日本の近海は世界でもっとも厳しい荒海の一つとされます。沿岸に沿って進む「地乗り航法」であればともかく、列島周りの海流は非常に速いので、時速3キロくらいの丸木舟による外洋航海は簡単ではありませんでした。

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