理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前後から6世紀頃までの古代史を再考する!

11 記紀神話と歴史について

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 神話は、物事の始まりを神がつくり出した、或いは神が決めたと語る物語です。実際にあったかどうかを問うものではなく、それを信じる人が真実として語るものでしょう。今回は、日本の建国を綴った記紀神話と古代史の関係について考えてみます。

 記紀神話の作られ方
 記紀神話は、新たな律令国家を実現するため、天皇の国土統治の正当性を語った物語です。しかも、それまで民衆の間で一般化していた神話ではなく、政権中枢によって意図的に作られた神話です。

 しかし、その内容すべてが政権中枢によって作りあげられたものではなく、列島各地で信じられていた神話や民間伝承と思われるものが色濃く反映されています。なぜでしょうか。


 一から作りあげるのなら、スサノオやオオクニヌシをめぐるおとぎ話のような物語、神功皇后やヤマトタケルの荒唐無稽な征討物語、八百万神がかくもたくさん登場する物語は必要なかったはずです。
 ましてや、降臨する神が天孫ニニギ以外にも存在するのは摩訶不思議。
 神話の全体は王権の正当性を語るものですが、王権神話になじまないようなストーリーがたくさん散りばめられているのです。まことに妙。

 

 記紀神話は、松本直樹氏の表現を借りれば、地方の神話、民衆の神話が持つ「神話力」を利用しながら作られたようです
 新たな勢力が国家の実現を目指すとき、過去の歴史の上に、自らの存在を正当化することが必要になります。建国神話を一から創作して、誰も知らない神々ばかりが活躍する神話など説得力を持ち得ないというわけです。
 民衆が伝承してきたよく知られた神話や、各氏族に伝わる神話を用い、そこに新しい意味や主張を乗せながら国家の由来を説く建国神話に仕立て上げたということです。
 例えば、イザナキ・イザナミによる国生み神話は、もともとは淡路地方の海民のあいだに伝わる民間神話でした。

 溝口睦子氏は、『記・紀』の最終的な編纂時期は8世紀初頭だが、その原資料が文字化された7世紀の時点では相対的に王権の力が盤石ではなく、依然として地方豪族の力が強かったので大量の古い神話を王権神話のなかに取り込んだのではないか、としています。松本説に通じるものがあるように思います。

 

 記紀神話は『古事記』と『日本書紀』とでは、かなり異なった内容になっています。大筋は似ていても、基本理念に大きな差異が認められるのです。

 一番よく分かるのが天地開闢の描き方と最高神の扱い方ですが、他にも出雲系神話や八百万神の取り上げ方など、いろいろと異なる部分があります

 

 『古事記』の理念は「天」主導の国づくりで、物語は「天地はじめてひらけし時、高天原に成れる神の名は」で始まり、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの造化三神が登場します。そして高天原の天つ神の指令を受けたイザナキ・イザナミが国を生みます。
 アメノミナカヌシは古代シナの天帝(北極星)の思想に影響された観念的な神で、もともとのムスヒの神を統合するために新たにつくられたものです。

 一方の『日本書紀』本文は陰陽二元論が中核的な理念となっていて、高天原は存在せず、アメノミナカヌシなどの造化三神も登場しません。
 物語は「いにしへに天地いまだわかれず、陰陽分かれざりしとき、まろかれたること鶏の子の如くして」で始まり、その後、混沌が陰陽に分離して天地と成り、まず登場する神がクニノトコタチです。
 クニノトコタチの「国」は天に対しての地上を意味し、「常立(トコタチ)」は、土台に立つという意味なので、クニノトコタチは地上にしっかりと立つ神ということになるでしょう。
 神世七代の最後に登場するイザナキは陽神、イザナミは陰神として描かれ、この夫婦神が国生みをします。
 ここでいう陰陽とは、清と濁でも、善と悪でもなく、対となるものが無ければ存在出来ない一対の関係です。7世紀以降、おそらくは推古天皇の頃に流入した道教の陰陽二元論が投影されたようです。
 天地開闢には登場しなかったタカミムスヒが、天孫降臨の場面で唐突に登場し、命令を下すのも『日本書紀』本文の特徴です。


 また、最高神についても、アマテラスとタカミムスヒの扱いが、『記・紀』のあいだでは多少異なっています。
 『古事記』ではアマテラスを最高神、ないしはアマテラスとタカミムスヒを同列の最高神として扱い、『日本書紀』本文ではタカミムスヒを明確に最高神と位置づけながらも、アマテラスの存在も意識しているようです。

 これについては研究者のあいだでさまざまな解釈がありますが、歴史的には、4世紀末から5世紀にかけての対高句麗戦争の際、ヤマト王権が北方ユーラシアの騎馬民族に伝わる王権思想に接触し、天から降臨する建国の神をタカミムスヒとする王権神話を作り上げたとみられます。

 その後、外来の色彩を帯びたタカミムスヒではなく、縄文弥生の色を残す土着の太陽神をアマテラスとして最高神に位置づける王権神話へとシフトしたようです。記紀神話を吟味すればこの間の経緯が浮かび上がってきます。
 本件についてはいずれ詳述する予定です。

 

神話かぶせの古代史・神話から汲みとる古代史
 今の古代史には、神話かぶせの度が過ぎる奇説・さして実証性もない珍説(トンデモ古代史)がかなり多く存在します。
 一例ですが、神話にアマテラスやスサノオが登場し、天孫降臨の地が日向であるせいか、出雲と大和と日向をめぐる攻防が軸となるような古代史が見受けられます。物語と考えれば面白いのですが、古代史と捉えると妙なことになってしまいます。
 弥生時代(紀元前)にまで遡る建国神話は、否、それ以前の神々の世界にまで遡る神話は、どう考えても歴史的事実ではありません。

 イザナキ・イザナミが日本列島の国生みをしたというのは神話ですが、もとは淡路一帯の海民の間で信じられていた「イザナキ・イザナミ神話」が、7、8世紀に中央の神話となり『記・紀』に反映されたという経緯は歴史そのものです。

 アマテラスが関係する数々の行ないは神話ですが、アマテラスの原初のモデルは伊勢地方の海民の間で信奉されてきた太陽神で、それを6、7世紀のヤマト王権がアマテラスとして昇華させ『記・紀』の中で最高神に位置づけたという経緯は歴史そのものです。

 スサノオがアマテラスに追い落とされ、オオナムチが国譲りをする経緯は神話ですが、4世紀以前の土着の神話世界において出雲神として崇敬されたスサノオやオオナムチが、(松前健氏によれば)その「超地域性・超氏族性・民衆性」により、広大な崇拝圏を持ち影響を与え続けたというのは歴史です。

 タケミナカタが出雲の稲佐の浜でタケミカヅチに敗れて信濃の諏訪に逃げたのは神話ですが、タケミナカタ(水潟)を信奉する諏訪氏が、土着の洩矢神を奉じる守矢氏を圧倒したのち、両者共存で諏訪の祭政を執行したのは歴史です。ヤマト王権が信濃にまで支配領域を広げた際、在地勢力の力を削ぐため、神話の中で諏訪が損な役回りを負わされたのでしょう。

 アジスキタカヒコネ神、コトシロヌシ神が、大和葛城の神であったのは歴史ですが、オオクニヌシの子神とされているのは神話です。ヤマト王権の勢力拡大に伴い創作された「国譲り」の一環で、オオクニヌシ系の国つ神とされてしまったのでしょう。

 『記・紀』は、そのほかにも地方の伝承や歴史の事実をたくさん取り込み脚色して仕立てた壮大な建国神話なのです。


 4世紀以前の無文字時代の思想や文化を、『魏志倭人伝』や考古学だけから汲みとることは非常に困難です。文献史学の方面では、列島各地で信じられていた神話や民間伝承が形を変えながらも豊富に反映されているとして、『記・紀』を紐解く研究が進んでいます。記紀神話を一概に否定するのでなく、古代史に資する部分を汲みとる努力をしたいものです。


 6~8世紀にかけて建国神話が作られたという事実は歴史そのものです。
 その建国神話がどういう内容なのか、これは日本国民全員が知っておくべきことではないでしょうか。何よりもその神話が、平成、いや令和の今に至るまで、私たちのメンタリティに影響を与え、国と民族のアイデンティティを形成し、国の文化の基底をなすものとして息づいてきた事実は、歴史そのものと言えるでしょう。
 記紀神話は、さまざまな形で現代の私たちの生活や心の中に溶け込んでいるのです。

 

歴史教科書の記述
 建国神話に過剰反応し、それを徹底排除する戦後の教育は「狂っている」の一語に尽きます。学校では日本史をどのように教えているのでしょうか。

 少し前に、教科書の中で歴史時代の事象がどのように取り上げられているのか調べてみたところ、その多くに、神武はおろか、応神や継体ですら、その名前が書かれていませんでした。邪馬台国のあと古墳の説明があり、その後いきなり蘇我氏、聖徳太子、推古天皇という流れになっているのは、到底、理解できるものではありません。
 高校で唯一、明成社の日本史B『最新 日本史』だけは「記紀神話」にも触れ、神武・崇神・ヤマトタケルの名も見え、大神神社や伊勢神宮の説明もありましたが、これは稀有な例と言えますね。
 来年の小学校6年生の教科書では、初めてヤマトタケルが取りあげられるようです。遅ればせながら教育の世界にも良い流れが出始めています。

 

 大東亜戦争さなかの1940年に、政府は皇紀2600年として盛大な祝賀行事を催し、「記紀神話」を軸とした皇国史観教育は頂点に達しました。
 戦後は、それまでの国家神道への反発から、歴史教科書の内容の多くが作り話として否定されてしまったわけです。
 おそらく、応神天皇より前の紀年については全く信用できないということが発端で、『記・紀』に描かれた5世紀より前の事象のほとんどすべてが机上の創作とされてしまったからでしょう。当ブログでも、いずれ紀年問題には触れてみたいと思います。

 何はともあれ、筆者は声を大にして叫びたいです。
 日本の古文献にいっさい登場しない邪馬台国や卑弥呼を声高に語るよりも、3世紀に大和盆地から興ったヤマト王権(当初はヤマト国)が時間をかけて列島の広範囲を統一していったこと、天武~持統の時代には「天皇」号が使われ、「日本」の国号が定められ、この時が実質的な日本の建国だということ、それまで伝承されてきた各地の神話をもとに8世紀初めに『記・紀』が編纂されたこと、そしてその中には「八岐大蛇」などの神話が描かれていること、これらはすべて歴史的事実なので、学校できちんと教えてこそ、古代史が豊かな学問になる思うのです。

 

 建国神話は、古代の人々の生活や考え方を伝える記録であり、悠久の歴史を刻み、薫り高い文化を紡いできた貴重な遺産です。石器、土器、鉄器、稲作、古墳などの無機的な事象を教えるのと同程度かそれ以上の比重で、教えるべきではないでしょうか。

 キリスト教圏に伝わるギリシャ神話やキリスト教でも、成り立ちは似たようなものでしょう。キリストの生誕や数々の奇跡、また数多く存在する聖跡が、いかに荒唐無稽と思われようとも、キリスト教圏においては日々の生活や国家的な行事の底流となって根づいています。
 日本神話も、ギリシャ神話やキリスト教の神話に劣らず、いやむしろそれに勝る国家創生物語だといえます。

 折りしも令和に改元され、古式ゆかしい宮中祭祀が執り行われています。天照大神を奉じる皇室の姿に感動を覚えない国民はいないのではないでしょうか。今に生きる私たちは胸を張って日本の建国神話を語り継ぎたいものです。

 「十二、三歳までに民族の神話を学ばなかった民族は必ず滅びる!」という誰かが喋ったフレーズは、自国の神話を学ぶことの大切さを強調した言葉でしょう。独自の文化や伝統を持ち、祖国への自負と誇りを持つ国民がいることが、国家として成り立つ最低要件といえます。


 

 ただし繰り返しになりますが、古代史を論考するのであれば、神話や、根拠のない空想を過度に織り込んだ奇説・珍説については、まじめに取り合わない方がよいと思います。
 縄文・弥生の昔から4、5世紀頃までの歴史(古代史)と、建国神話は峻別する必要がありますね。まして神話は史実か否かを論じる対象ではありません。

 

参考文献
『日本の神々』松前健
『神話で読みとく古代日本』松本直樹
『日本神話はいかに描かれてきたか』及川智早
『古事記の世界観』神野志隆光
他多数