理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前後から6世紀頃までの古代史を再考する!

17 考古学の功罪

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  前回までのブログで、神話を過度に織り込んだ古代史の問題点を洗い出しました。冷静に考えれば、「神話をベースにした歴史」はあり得ないのですが、実際は在野の研究者や歴史作家の論考に、この種のトンデモ古代史がたくさん見られるのです。ご注意あれ!
 今回は目先を変えて、考古学に過度に頼る問題点について考えてみます。

 古代史狂想曲
 古代史の現状をみると、考古学がオピニオンをリードしているように思えます。
 しかも著名な研究者が仮説を展開すると、それに乗じる動きが加速して、仮説がどんどん自己増殖していくようです。
 仮説に都合の良い傍証を連発し、仮説がいつのまにか定説であるかのような雰囲気となっていくのです。

 たとえば、桜井市の纒向・箸墓を、安直に邪馬台国や卑弥呼と関連づけてしまうような問題があります。たまたま都合の良い物証が見つかると、多方面からの検証もないまま、あたかも邪馬台国は纒向地域で決まり、と叫ぶ考古学の研究者、それに輪をかけて囃し立てるジャーナリズム、観光資本……。

 次々と出土したベニバナの花粉、日本最古の木製の仮面、大量の桃の種などを卑弥呼や邪馬台国の存在と結びつけてしまうのは、こじつけ以外の何物でもないでしょう(今は細部に入りませんが、なぜこじつけかについてはいずれ言及するつもりです)。
 纒向に限らずこの種の話は日本各地にありますね。まさに古代史狂想曲です。

 こういうことは、学界自体がピラミッド構造になっているのだから仕方ないのかもしれません。閉鎖空間の中のことですから、新たな視点で見直すとか、引き返すということが出来にくいのです。
 その一方で、今の考古学は「たまたま」出土した遺跡・遺物によって、 それまでの論理がそっくり瓦解するようなことも繰り返されてきました。こんなガラス細工のような古代史でいいのでしょうか。


 古代史関連の講演会・講座が活況です。古希を過ぎた筆者もあちらこちらと足繁く通って楽しんでいます。誰もが謎解きに参加できて、識者の甲論乙駁を直接聴けるのが何とも心地良いわけです。
 しかし、回を重ねた定評ある講演会でも、その内容については玉石混交の感があります。細部の学究に閉じこもる専門家は、何度も同じ材料や論文を焼き直して講演しています。胸の高鳴るような新しい学説はなかなか聴くことができません。
 遺跡や膨大な考古物を分析し類別し、その結果をもとに講演するのは考古学者の独自の世界ですね。微に入り細をうがった研究論文のような講演は、古代史ファンとしては聞くに堪えません。なぜならそれは、科学的分析ではあっても、多くの場合、古代の歴史に繋がらないからです。

 もちろん収穫の多いしっかりした講演もあるのですが、実際のところ、何百人も集まるような講演会で大きな満足感が得られることは意外と少ないような気がします。これまた、古代史狂想曲の一断面ともいえそうです。

 

考古学だけで古代史の真実を語れるか?
 今の古代史は大局観を軽んじ、あまりにも考古学重視に傾きすぎているようです。
 考古学は歴史学だという学者もいるようですが、考古学を重視し過ぎるとミクロの世界に没入し全体像を見誤ってしまいます。
 単独に遺跡・遺物を観察・整理するだけでは、古代史にとって一断片の材料提供にはなるでしょうが、かえって真の古代史をゆがめてしまう恐れがあります。
 典型的な理系の学問である考古学だけで古代史を語ることは明らかに間違いです。筆者は、考古学そのものは有用なものだと思いますが、その扱い方に大いなる危惧を感じています。
 考古学は対象がモノなので、一見して科学的と思ってしまうのが落とし穴ですね。
 考古遺物は無口なので古代史に落とし込む際は、当時の人々の行動様式や思想、さらには「人・モノ・情報のネットワーク」の実態などに細心の注意を払わないと大局を見誤ってしまうわけです。
 考古学はその活用の仕方によって吉にも凶にもなる可能性があるのです。

 

 考古学の世界では、遺跡・遺物の発見が相次ぎ、それに基づいて古代の国やクニの姿が論じられています。しかし九州北部と大和で同一種類の遺物が発見されたからといって、九州北部と大和地域が同一権力の影響下にあったと即断することは出来ません。
 仮に卑弥呼が受けたとされる金印が大和で発見されたとしても、邪馬台国が大和にあったという決定打にはなりません。伝世された可能性があるからです。
 移動可能な遺物という点では、鏡・鉄剣・銅鐸・石器・ヒスイなどいずれも同様のことが言えるわけです。

 移動不可能な古墳のようなものでも、その類似性だけを根拠に同一権力の影響を論じることには無理があります。伝道者がいれば祭祀の様式は伝播するし、技術者や工人が移動すれば寸分違わぬ古墳の築造は可能だからです。
 弥生墳丘墓や前方後円墳などは、多分に宗教・文化的な要素であると同時に技術力の結晶でもあります。したがって伝播できるのです。
 遺跡・遺物については、技術や文化の伝播・拡散の様子を解き明かさない限り、形状、様式の一致だけを根拠に政治勢力の介在を論じることは無謀と言えます。

 いずれ言及しますが、3世紀半ばからヤマト王権による広域支配が始まったとする「前方後円墳体制」なるものは、古代史としては虚構の説であると断言しておきます。

 

人・モノ・情報のネットワークを支える技術や交通インフラ
 古代史は、考古学偏重ではなく、文献史学・言語学・宗教・文化人類学・民俗学・地理気象学・哲学などのさまざまな分野の知見を総動員して構築すべきと思いますが、むろん筆者の手には余ります。

 それを承知のうえで筆者が重視したのは、多くの研究者が重要視しないか見ないふりをしている技術面からの数々の知見です。
 古代史のダイナミズムは、権力のありようと密接に関係しているので、古代史では政治権力の変遷が中心的なテーマとなるでしょう。

 さまざまな権力が離合集散を繰り返しながら統一政権に纏まっていくなかで、 数々の戦争や合従連衡の実態はどのようなものだったのでしょうか。これを解き明かすのに、政治や思想・宗教というような上部構造からだけでなく、 そこに、人・モノ・情報がどのように介在したのか、その介在を底辺から支えた下部構造は、どのような技術や交通インフラだったのか、という具体的な事象を重視したいと思います。

 筆者は今後、これらの視点を切り口として、主として政治権力の変遷に焦点を当てて古代史を描いていきます。 このような切り口で、少しでも真実の姿に近づける作業を、「理系脳で紐解く」と表現して、当ブログのメインテーマとした次第です。

 

現在までの考古学的成果に忠実に依拠
 考古学偏重の古代史に疑問を呈してきましたが、この先の論考は考古学の知見を忌避するのではなく、現在までの考古学的成果に忠実に依拠して進めます。現在までの考古学的な成果から、客観的に考えられることを選択して「骨太の古代史」に収斂させたいと考えています。ありもしないファンタジーを極力排除して冷静に古代史を論じてみようと思います。


 考古物は、おそらく全体のほんの一部が発掘・発見されたに過ぎず、まだ何百倍・何千倍もの膨大な証拠が地下に眠っているはずです。
 今後、新たな発掘成果によって、筆者が描くストーリーが破綻することもあるかもしれません。それはそれで結構なことです。筆者は現在までの科学的成果に忠実でありたいし、常識的な判断を優先したい思っています。