本年(2019年)6月17日、英国科学誌『Scientific Reports』に、「Analysis of whole Y-chromosome sequences reveals the Japanese population history in the Jomon period」のタイトルで「現代人のY染色体解析によって縄文期の人口減を裏付けた」とする論文が掲載されました。
プレスリリースをもとに下記に要点を記します。
〇東大のチームが、組み換えを受けずに父親から息子へ代々引き継がれるY染色体について、全塩基配列の変異を調べ、遺伝子系図解析を行なった。
〇日本人のY染色体は7系統に分かれ、そのうちの「系統1」は、渡来系の影響を受けない縄文人由来であることが判明した。
〇「系統1」を持つ男性122人について、共通祖先をさかのぼる遺伝子系図解析を行なったところ、2500年前頃に人口が3分の1に急減していたことが判明。
〇この時期は、世界的に寒冷化が進み、食料供給の減少が人口減につながった可能性が指摘されている。
(ちなみにこの時期は、前期の温暖期よりも年平均気温が3℃も低くなっていました)。
前回のブログでは、小山修三氏の人口推計を取りあげました。彼は遺跡の発掘調査をもとに、15,000年ほど前に始まった縄文時代の途中で遺跡の数や規模の縮小が起きており、これをもとに、今から3,300年前の26.1万人から、2,900年前には7.6万人まで減少したとする人口推計を提示していたのです。
急減するポイントが、東大チームの見立てと4~500年ほど違いますが、小山氏による縄文弥生期の人口急減仮説が遺伝子解析の面からも裏づけられたといえましょう。
<サンケイ新聞 2019-6-18>
人口の歴史を補強する意味で、鬼頭宏氏の論考の一部を抜粋し下記に記してみます。
< 26万人いた縄文の人口が、8万人まで激減し、まもなく迎えた弥生時代、再び人口は増加に転じる。海の向こうから持ち込まれた稲作の技術が、全国に拡大。食料供給量がアップして、それに合わせるかのように、またたく間に人口を押し上げたのだ。
そんな「正のスパイラルによって」、8万人まで落ち込んだ人口はおよそ8倍の60万人まで伸びていく。
この縄文後期の人口減少期から、弥生時代の人口増加期にかけての人口カーブは、日本列島の人口変動に共通する黄金パターンと言うことができる。その後も、日本列島の人口の増加のポイントでは、多くの場合、海外から持ち込まれた技術革新があった。新しい技術や社会制度などが持ち込まれるたびに、文明システムが転換し、人口は増えていった。
一方、そうした新しい技術が定着し、発展の余地がなくなると、人口は横ばいに転じるのが常。そこに気候変動などが起こると、一転、人口が減少していく。これが、日本の人口変動のひとつのパターンとなっている。
稲作技術をきっかけに始まったこの人口増加も、その後奈良時代には500万人と順調に伸びていったが、平安時代の700万人をピークに再び減少期に入っていく。
この減少の原因となったのは、社会システムの変動。 それまで、ひとりひとりが朝廷に租庸調を収めることで経済が回っていた中央集権国家が、平安時代に入ると次第に形骸化していく。同時に、耕地の開発にブレーキがかかっていったのである。>