前回までで、「古代史に向き合うスタンス(第1~10回)」、「神話や考古学に向き合うスタンス(第11~24回)」、「人・モノ・情報のネットワークと古代の技術・交通インフラ(第25~58回)」について、ひと通り言及しました。ブログをスタートしてから既に1年半。
読者の存在に配慮せず、ため込んだ文献・資料を整理するため、頭の中で思案していたネタを具現化するため、それらを漏らさず文章に落とし込むため、というもっぱら自分向けの理由から、これだけの期間を要してしまった……。
でも、「理系的視点に基づいた骨太の古代史(第1、2回ブログ)」を描くために、筆者にとっては欠くべからざる重要なプロセスでもありました。
この間の論考をランダムにまとめてみれば、結局、次のようなシンプルなものです。
1.『記・紀』は大和政権の出自の正当性を綴ったもので、そのまますべてを古代史と見なすことはできない。
記載内容が史実に近いのは継体(6世紀)以降、甘く見ても雄略(5世紀後半)以降であって、仁徳(5世紀前半)以前は後世の脚色や創作が多いことに留意したうえで、大いに活用したい。
2.「文字の体系」については、各地の支配者層・知識層の間でさえ、5世紀以前には一般化していない。文字のない時代の古代史は伝承に頼らざるを得ず、無視はできないが信頼性に欠ける。
同様に、神社の伝承や祭神、また神社建築そのものから、古墳時代より前の古代史を見出すのは不可能に近い。
3.考古学については、単独に遺跡・遺物を観察・整理するだけでは、古代史にとって一断片の材料提供にはなるが、かえって真の古代史をゆがめてしまう恐れあり。代表的な例は、前方後円墳体制説、3世紀の政治連合(共立)説。
現在の考古学の大勢は、「大和政権中心史観」の片棒をかついでいるので、要注意。考古学はそのままでは歴史学にはならないので、文献史学やその他の分野の知見をバランスさせて古代史を構築したい。
4.人が住んでいさえすれば交易は行われ、文物は伝播する。
縄文の昔から少人数での交易は行われてきた。人が移動すれば情報も伝わる。したがって技術・文化・宗教・慣習はどんな遠地にも伝播した。武器製造技術、稲作技術、古墳築造技術、祭祀、信仰などは、時間はかかるが伝播によってあまねく広まった。
陸路が充実する前、遠隔地の交易や人・モノの移動を担ったのはもっぱら舟である。弥生時代まではほぼ丸木舟、紀元後には複材刳舟が使われた。
航海による交易は当初は日本海ルートで盛んになり、瀬戸内海ルートが「物流ハイウエイ」になるのは遅れた。
5.古代日本が平和的に統一されたというのは間違い。軍事的ないしは経済的優位性を軸に、力づくで政治的結合(征服・直接統治・政治連合など)が進展した。
広域統治を維持するためには、人・モノ・情報のネットワークを掌握することが必要条件で、そのためには、「技術の進歩と交通インフラの整備」が必須。
陸上交通を押さえなければ、遠隔地の統治に欠かせない大集団移動や適時移動が不可能。また、文字なくしては、交易はできても情報伝達が出来ない。
したがって5世紀より前の広域統治は困難。
6.鉄器の利用は弥生時代後期から。本格鍛冶は5世紀から。製鉄の開始は5世紀末から6世紀頃。
鉄製品の供給量が増えるとともに、技術革新(古代の産業革命)が起こる。
道路の高度化、準構造船の登場、産業の高度化により物流が増え、人の集中が進み、移動や交易が頻繁になる。
技術革新により、5、6世紀以降、各地域国家で版図が拡大し、地域国家間の確執・合従連衡が激化。
7.後に大和政権となるヤマト国も、3世紀の段階では(各地域と同様に)大和盆地内でムラから小国になったばかりに過ぎない。当時、先進的なポジションにあったのは出雲、丹後、近江など。
当時の交通インフラや技術水準から見て、ヤマト国が日本列島の広域を「急速に」支配することは不可能で、交易路の確保、軍隊の整備、産業の興隆に比例するように徐々に版図を拡大していく。
ヤマト国が大和政権になり広域を統治できたのは、決して必然ではなくいくつかの偶然が重なったため。
以上の7項目に尽きます。
これらは古代を俯瞰する場合のOB杭といえます(逆に言うと、今後、これらフェアウエイから外れるような新事実が見つかれば、筆者が展開する古代史は見直しを迫られることを意味します)。
次回からは、いよいよ「古代史の本論」に進みます。外堀を埋めたので奇説・珍説の入り込む余地はないはず。
フェアウエイという制約の中でどのような古代史が描けるのか、正直少々不安だけど、次回以降、弥生時代、邪馬台国、神武東征の虚実、ヤマト国の発祥、地域国家と王権、ヤマト王権の版図拡大……と続けていく予定です。
時には「技術と交通インフラ」の話に戻り、また時には「神社の創建事情」に触れ、「旅の体験」も語りながら、継体・欽明の時代くらいまで進めたいと考えています。
模索しながらの執筆になるので、さらに4年くらいかかりそう……。
今までの「技術や交通インフラ」という比較的実証可能な論考と比べれば、この先の「古代史の本論」には、どうしても想像や推理の部分が入り込んでくることが避けられません。
第3回ブログで「突飛でファンタジー(空想・想像)満載の夢物語」にならないように心がけると宣言しましたが、OBラインを大きく逸脱することのない範囲で、夢を語るなどの多少の味つけを許してもらいたい……。
文献や伝承を取捨選択して取り入れながら、極力理系的視点に基づく推理を心がけ、あれこれと論及していくつもりです。