理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前2世紀頃から6世紀頃までの古代史を再考する!

129 ヤマト王権主導の技術革新(1)


 <入道崎灯台と北緯40度モニュメント>

 今回は、第102回ブログで予告した「河内平野における土木工事」について言及します。ヤマト王権が主導した「5世紀の技術革新」のなかでも代表的な事績と言えるでしょう。

もっともベーシックな土木技術
 巨大古墳をはじめ、大規模集落、環濠などの防衛拠点、井戸や水路の掘削、水田稲作を支える灌漑、道路、堤防、津(港湾施設)などの構築・築造は、いずれも土木技術の進歩によって可能となりました。
 土木技術は、様々な技術の中でも、もっともベーシックなものと言えます。対象構築物が巨大であるため、土木工事は組織化された大集団を統率する強力で安定的な権力の存在が不可欠です。
 ヤマト王権は内部に対立をはらみつつも、畿外(畿内以外の地)や海外に対しては協力して対処するというように、ならしてしてみれば安定した権力だったと言えます。
 大規模土木工事と切り離せないのが、人・モノ・財・時間をシステマチックに組み合わせて運用する管理技術、なかでも大規模人員を運用するための労務管理能力です。そして日常の食住の提供(後備え、第87回ブログ)なども含め、これらすべてが大規模土木工事に関わる広義の技術に含まれます。当然、王権内には先進的な管理技術に通じた優秀な戦略スタッフがいたはずです。

 巨大古墳については第104回・107回ブログで言及したので、今回は、それ以外について触れることにします。

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127 馬見古墳群


  <ブナ林>

 今回は謎の多い馬見古墳群について概括します。第121回・124回ブログでも少々触れてはきましたが……。

馬見古墳群の立地
 馬見古墳群は、4~5世紀の葛城氏が支配する「狭義の葛城地域」の北方にあり、そこは第124回ブログで確認したように、葛下郡(葛城市北部・香芝市・大和高田市西半部・王寺町・上牧町)と広瀬郡(広陵町・河合町)一帯に相当します。

 下図で町名を印で表示。

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126 「かづらき」地域集団と葛城氏(3)

<高鴨神社の正面鳥居 一言主神社の乳銀杏>

 前回・前々回のブログで確認したように、葛城氏の権力基盤は、交通インフラを掌握してヤマト王権の対外交渉を担ったことにあるわけですが、今ひとつはヤマト王権の王の外戚となったことにあります。

 今回は外戚としての葛城氏と、「かづらき」地域集団の神々について言及します。

 

大王家の外戚としての葛城氏
 近代以前の天皇は、複数の后・妃を有しており、天皇家の一族だけでなく、氏族出身の女性も多く入内しています。

 奈良時代以前に多くの女性を入内させた氏族としては葛城氏・蘇我氏・息長氏・和珥氏などが知られています。

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125 「かづらき」地域集団と葛城氏(2)

 大和盆地という内陸に拠点を置いた葛城氏にとって、瀬戸内海の自由往来が困難だった5世紀までは、日本海側に出ることや九州北部地域に到達することは重要な政治課題でした。
 彼らは、地域勢力と連携して交通インフラ(水運・海運)をおさえることでこの障害を克服し、自らの勢力を拡大します。

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