理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前2世紀頃から6世紀頃までの古代史を再考する!

67 古代のダイナミズムを生んだ海の民(1)

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 弥生時代末期から3世紀頃までの日本海側の交易について概括したので、今回は、第52回・53回ブログで予告した「海の民の活躍」について考えてみます。

チャレンジ精神で交易を担った海民集団
 現在の日本は、4つの大きな島を含め合計6852もの島から成りたっています。
 これだけ多くの島を抱える国は、インドネシアやフィリピン以外にはない。海の民はこれら多くの島を拠点とした。彼らの活躍なくしては、古代日本の発展はあり得なかったでしょう。
 すでに第38回と第53回のブログで言及したように、日本の近海は世界でもっとも厳しい荒海の一つとされます。沿岸に沿って進む「地乗り航法」であればともかく、列島周りの海流は非常に速いので、時速3キロくらいの丸木舟による外洋航海は簡単ではありませんでした。

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66 3世紀頃までの九州北部・山陰の交易(3)

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 前回の続きとして、四隅突出型墳丘墓と青谷上寺地遺跡について補足します。

四隅突出型墳丘墓
 ヒトデのような格好の四隅突出型墳丘墓ですが、これら出雲の墳丘墓と吉備の楯築墳丘墓は、ほぼ同時期に存在したと推測されています。
 そして、西谷3号墳丘墓の埋葬施設が楯築墳丘墓と同じような構造の木槨墓であり、埋葬儀礼に用いた土器の中に吉備の特殊器台・特殊壺や山陰東部や北陸南部からの器台・高杯などが大量に混じっているのです。
 西谷3号墓から吉備で作られた特殊器台が発見されているということは、出雲と吉備とのあいだの深いつながりを暗示しています。

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65 3世紀頃までの九州北部・山陰の東西交易(2)

f:id:SHIGEKISAITO:20200908093738j:plain  <宍道湖北岸の蕎麦畑>

 前回の続きですが、古代の出雲と因幡について補足します。

出雲政権はあったのか?
 古代史を検討する際に避けて通れないのは、「出雲の隆盛と国譲り」に関する論考です。
 まずは、「3~4世紀の大和政権誕生に先立って、西日本全域を支配した出雲政権があった」という説は、明確に否定しましょう。これは『記・紀』の記述がもとになってつくり出されたトンデモ古代史です。

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64 3世紀頃までの九州北部・山陰の東西交易(1)

 f:id:SHIGEKISAITO:20200908092820j:plain <大社湾越しに三瓶山遠景>

 第38・40回ブログで、日本海側における「広範囲にわたる潟湖の存在は、朝鮮半島との南北交易を地域間の東西交易に転換でき、古代の日本海文明において重要な結節点の役割を担ってきた」と記しました。
 今回は、紀元前1世紀頃から3世紀頃までの日本海側の東西交易と、九州北部や山陰に存在したクニの興亡について、出雲に焦点を当てながら掘り下げてみます。
 「神話かぶせ」が過ぎる古代史では、「天孫族が日本を統治する前に出雲政権があった」というのですが、筆者が描く古代史はそれとは一線を画しています。

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63 玄界灘沿岸のクニグニ・半島との交易(2)

 f:id:SHIGEKISAITO:20200907155538j:plain <平原1号墓(福岡県糸島市)>

 前回の続きです。

2世紀頃の九州北部
 玄界灘沿岸のクニグニは、朝鮮半島との交易によって栄え、2世紀に向けて伊都国を中心にまとまっていきます。
 その中心的な集落は、まず紀元前後の三雲南小路遺跡で、続いて1世紀頃の井原鑓溝遺跡です。

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