<入道崎灯台と北緯40度モニュメント>
今回は、第102回ブログで予告した「河内平野における土木工事」について言及します。ヤマト王権が主導した「5世紀の技術革新」のなかでも代表的な事績と言えるでしょう。
もっともベーシックな土木技術
巨大古墳をはじめ、大規模集落、環濠などの防衛拠点、井戸や水路の掘削、水田稲作を支える灌漑、道路、堤防、津(港湾施設)などの構築・築造は、いずれも土木技術の進歩によって可能となりました。
土木技術は、様々な技術の中でも、もっともベーシックなものと言えます。対象構築物が巨大であるため、土木工事は組織化された大集団を統率する強力で安定的な権力の存在が不可欠です。
ヤマト王権は内部に対立をはらみつつも、畿外(畿内以外の地)や海外に対しては協力して対処するというように、ならしてしてみれば安定した権力だったと言えます。
大規模土木工事と切り離せないのが、人・モノ・財・時間をシステマチックに組み合わせて運用する管理技術、なかでも大規模人員を運用するための労務管理能力です。そして日常の食住の提供(後備え、第87回ブログ)なども含め、これらすべてが大規模土木工事に関わる広義の技術に含まれます。当然、王権内には先進的な管理技術に通じた優秀な戦略スタッフがいたはずです。
巨大古墳については第104回・107回ブログで言及したので、今回は、それ以外について触れることにします。
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