考古学界では、三角縁神獣鏡に関する次のような説が根強く語られてきました。
畿内で集中的に出土した三角縁神獣鏡は、卑弥呼が魏から下賜された銅鏡100枚に違いない。したがって邪馬台国は畿内にあったに違いない……と。
しかし近年、三角縁神獣鏡は下賜された銅鏡100枚ではないことがほぼ確実になってきています。
それはヤマト王権によって大和地域で作られ、各地に運ばれたものであることに異論の余地がなくなってきているからです。
代わりに、大和地域で多く出土する画文帯神獣鏡こそが下賜された銅鏡に相当するので、邪馬台国は大和地域に存在したに違いないという議論が始まっています。
今回は、これらの銅鏡をめぐる議論ついてレビューしてみます。