<近江八幡堀> 第135回・136回・138回ブログを振り返ると、ヤマト王権は雄略の時代に専制化したかのように思えます。しかし前回のブログでは、雄略以後の王権内は大混迷であったと綴りました。混迷の後、7、8世紀にかけてヤマト王権(大和政権)の政治体…
<母と子の森(京都御所)> 今でこそ私たちは「ヤマト王権」という言葉を当たり前に使い、王権の順調な成長隆盛を思い描きますが、これは後世の歴史を知っているからそう呼ぶのであって、5世紀後半から末にかけての古代史の理解には慎重さが必要と思います…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。