理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前2世紀頃から6世紀頃までの古代史を再考する!

2019-01-01から1年間の記事一覧

32 追補 砂鉄と鉄鉱石 

<花崗岩> 鉄関連で広範囲に食い散らかし、すこし錯綜してしまったので、製鉄に使われた「砂鉄と鉄鉱石」について再度整理し、確認しておきたいと思います。

31 鉄の痕跡を訪ね、秘湯に浸る「奥出雲・雲南の旅」

< 亀嵩の朝(島根県仁多郡奥出雲)> 鉄がらみの論考が続いたので、ついでに1年前の旅について触れることにします。 昨年(平成30年)の秋、10月に、奥出雲・雲南一帯(安来の奥に位置する亀嵩から三瓶山の山麓付近まで)をドライブしました。 筆者は、「…

30 古代の鍛冶・製鉄(3)

<菅谷山内高殿(雲南市吉田)> 製鉄の開始は6世紀 第28回のブログで言及したように、日本神話には、スサノオによるヤマタノオロチ退治の物語があり、これを出雲の砂鉄争奪とからめる解釈があります。したがって、弥生時代の昔から、出雲で製鉄が盛んだっ…

29 古代の鍛冶・製鉄(2) 

<五斗長垣内遺跡(淡路島)> 鉄器の舶来 日本の鉄利用は、製品の輸入から始まりました。 日本最古の鉄器は、紀元前5世紀頃にシナで作られた鋳造製の斧で、愛媛県の大久保遺跡で出土しています。しかし鉄器の普及というにはほど遠く、鋳鉄の破片を対象に、…

28 古代の 鍛冶・製鉄(1)

<浅間山の溶岩・鬼押し出し> 古代史を追究するためには、「鉄の利用」について理解を深めることが欠かせません。今回から3回シリーズで、日本における鍛冶・製鉄の歴史を概括してみます。

27 実験航海の大成功に思う 

<与那国島の夕焼け> 本年7月9日、国立科学博物館の海部陽介氏をリーダーとする「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」が成功裏に終了しました。 3万年以上前に、私たちの祖先(ホモサピエンス)が海越えの3つのルートで日本列島にやってきたことは確実…

26 技術と交通インフラを軸に古代史を再考する!

前回のブログでは、古代史を俯瞰する場合に「人・モノ・情報の(流れに関する)ネットワーク」という視点が重要であることを確認しました。 ネットワークが形成されるためには、自然障壁を突破する交通インフラの整備・充実が必須で、それを下支えする技術の…

25 自然障壁と人・モノ・情報の流れ(ネットワーク)

第20回のブログでは、2~3世紀頃の日本列島の人口状況についてレビューしました。 一言でいえば、とんでもない過疎だったということに尽きますね。 その頃の日本列島では、人はどのようにして移動し、モノはどうやって運ばれ、情報はどのくらいのスピード…

24 倭国大乱は鉄をめぐる広域戦争だったのか

第18回ブログの「政治連合(共立)説」でも言及しましたが、通説では、2世紀後半頃の日本列島で、鉄の入手をめぐる広域戦争が発生したとされています。「鉄資源の獲得」や「鉄の交易路掌握」をめぐる争いです。根拠は、『魏志倭人伝』に記載のある倭国大乱…

23 集住化・集権化の要件

<コスモス> 前回、ムラやクニが、国になり中央集権国家へと態様を変えながら集約していくプロセスと集住・集権規模に言及しました。ムラから始まり、次々と段階を踏んでいくための要件を考えてみましょう。 水辺の地⇒ 交通インフラの整備⇒ 専門特化層の充実 …

22 ムラ・クニ・国(地域国家)・中央集権国家

<彼岸花> 倭国という表現 当然ながら、古代の日本列島には「日本」と称した国はありませんでした。にもかかわらず万世一系の思想のように、紀元前から一貫して今のような枠組みがあったかのような古代史も存在します。しかしそれは意図的に設定された枠組み…

21 縄文晩期の人口激減をY染色体解析で裏づけ

本年(2019年)6月17日、英国科学誌『Scientific Reports』に、「Analysis of whole Y-chromosome sequences reveals the Japanese population history in the Jomon period」のタイトルで「現代人のY染色体解析によって縄文期の人口減を裏付けた」とする…

20 2~3世紀頃の人口

歴史人口学を専門とする鬼頭宏氏の著書に、日本の人口の変化を詳しく綴った論考があります。縄文から弥生時代にかけての人口推計は小山修三氏の研究がベースになっているようです。今回はこれをもとに、古代の日本列島の姿をイメージしてみたいと思います。

19 古代の天皇の名前と在位

ブログがだいぶ進んできましたが、今後の論考において、たびたび登場するであろう古代天皇の表記と想定される在位について述べておきます。研究者による様々な考え方がありますが、当ブログを読んでいただく際の混乱を避けるために、筆者の考え方を明確にし…

18 ヤマト王権による広域支配は「緩やかに」進行した!

<伊勢神宮内宮> 日本列島の広域を「急速に」支配することは不可能 『記・紀』を忠実になぞってみれば、ヤマト王権による列島支配はきわめて順調に進んだように思えます。 崇神の頃(3世紀末か)には、四道将軍派遣により、北は関東から東北南部まで、西は岡…

17 考古学の功罪

< ワタスゲ > 前回までのブログで、神話を過度に織り込んだ古代史の問題点を洗い出しました。冷静に考えれば、「神話をベースにした歴史」はあり得ないのですが、実際は在野の研究者や歴史作家の論考に、この種のトンデモ古代史がたくさん見られるのです。ご…

16 神社の起源と祭神

<若狭彦神社本殿と中門 手前は拝殿跡> 前回は、アマテラスを祀る伊勢神宮の歴史が7世紀より前には遡らないことを確認しましたが、今回は一般の神社と古代史との関連を探るため、その起源や変遷について考えてみます。 謎に包まれた神道・神社の起源 神道の…

15 伊勢神宮

<伊勢神宮で放し飼いされている神鶏> アマテラスと言えば伊勢神宮というくらい、両者は密接なつながりがあります。今回は伊勢神宮の創建、由緒、歴史などについて掘り下げてみます。その前にちょっと……。

14 アマテラスの来歴

<朝焼け> 今回は、第11回ブログで予告した「建国神話における最高神の創作」について述べます。 「2世紀後半頃に存在したとされる卑弥呼は、アマテラスそのものである」と公言する研究者が結構多いのですが、いくら強弁しても、そこにはとんでもない勘違い…

13 神話が歴史をつくる!

江戸時代末期から大東亜戦争までは、特異な眼差しで古代史に向きあった時代でした。 周知のように、天孫降臨や神武東征はもちろんのこと、『記・紀』に記載された多くの神話や伝説も、歴史的事実として政治利用されたからです。 昭和の初期には、神武東征ル…

12 神武東征と天孫降臨神話

前回のブログで、政権中央によって新しく創作された建国神話は、地方の神話、民衆の神話が持つ「神話力」を利用しながら作られたと述べました。 誰も知らない神々ばかりが活躍する神話ではなく、民衆が伝承してきたよく知られた神話や、各氏族に伝わる神話を…

11 記紀神話と歴史について

神話は、物事の始まりを神がつくり出した、或いは神が決めたと語る物語です。実際にあったかどうかを問うものではなく、それを信じる人が真実として語るものでしょう。今回は、日本の建国を綴った記紀神話と古代史の関係について考えてみます。

10 漢委奴国王印をめぐる諸説

前回記した「漢字伝来」の補足になりますが、西暦57年の漢委奴国王印(金印)について若干言及します。 この金印は、封泥のためのもの、駅鈴のような権威を表すものなどの諸説があり、奴国王が後漢の皇帝からもらったものとされています。 1784年、博多から…

9 日本における文字の古史料

文字の古史料 日本人が文字に接触してから使いこなすまでの歴史は、おおよそ以下のような経緯をたどったと想定されます。 まずは接触のエビデンスです。• 西暦57年===志賀島で発見された金印に刻まれた「漢委奴国王」の文字。•1~2世紀====弥生遺跡…

8 先史最大の情報伝達革命、「ことば」・文字の発明と使用

人類進化の大きな画期となった「ことば」の発明 人類は、「ことば」が使用される以前、意思疎通を表情、身振り、叫び声でやり取りしていたわけです。ノンバーバルコミュニケーションですね。 アメリカの心理学者メラビアンが実験したところによると、意外な…

7 ブログを始めた動機

先日、当ブログに関し知人から声がかかりました。えらいことを始めたね、何でまた、と……。 実際に他人の目に留まったかと思うと、初回の宣言(2019年3月28日)が格好良すぎて気恥ずかしい......。その時にブログの趣旨は記したので、今回は、執筆に到った些…

6 『古事記』の「序」について

天武天皇が、『古事記』と『日本書紀』の編纂をほぼ同時に命じたことについて、次のように説明されることが多いですね。 「古事記は国内向けで天皇家の私的な歴史書であるのに対して、日本書記は国外を意識して編纂された公式の歴史書である」。 筆者は、こ…

5 『古事記』に対する極端なスタンス

『古事記伝』について 『古事記』の注釈書である『古事記伝』を著した本居宣長は、それまで埋没して顧みられなかった『古事記』を江戸時代末期・近現代に蘇らせた功労者です。 『古事記伝』がなければ、現在の古事記研究は存在しなかったでしょう。

4 超人、稗田阿礼がいたとしても……

『古事記』の編纂には謎が多いし偽書だとする説もあります。『古事記』が、江戸時代後期まで、表舞台にほとんど登場せず埋没していたのに対し、『日本書紀』の方は、編纂の翌年から平安期まで、官僚の教科書として機能してきました。 それはともかく、今回は…

3 『記・紀』に向き合うスタンス

当ブログは、筆者の関心事の備忘録でもあります。したがって、その都度思いついたことを徒然なるままに綴っていきます。 まずは、最も古い歴史書と言われる『古事記』『日本書紀』に向き合う、筆者のスタンスを述べることにします。 『古事記』は712年、『日…