当ブログは、筆者の関心事の備忘録でもあります。したがって、その都度思いついたことを徒然なるままに綴っていきます。
まずは、最も古い歴史書と言われる『古事記』『日本書紀』に向き合う、筆者のスタンスを述べることにします。
『古事記』は712年、『日本書紀』は720年に編纂されたと言われています。
一般的には、古事記の「記」と日本書紀の「紀」を併せて、『記紀』と記すことが多いですね。しかしその記述内容や編纂の目的はかなり異なっているので、筆者は『記・紀』と記すことにしています。つまらないこだわりかもしれませんが……。
古代史をテーマとする研究者は、学界・在野を問わず『記・紀』くらいは熟読しておくべきでしょう。『記・紀』も読まずに古代史を語る考古学研究者もいるようですが、これは最低限の必要条件です。
『古事記』では上中下のうち上巻が、『日本書紀』では30巻のうち最初の2巻が、それぞれ神代の物語にあてられています。つまり歴史書とはいっても、序盤は神話そのものでしかありません。
しかし神話だとしても、日本人である以上、軽んじるのは良くないですね。
神話は、国家の成り立ちを綴った一大叙事詩で、古代の人々のメッセージを伝えてくれるものです。好き嫌いにかかわらず、現代にいたるまで私たちの生活・文化に大きな影響を与え、日本人のアイデンティティ形成に大きな役割を果たしてきました。
憂慮すべきは、これらの神話を題材とする「古代史の奇説」が横行していることです。それは、アマテラス、スサノオ、オオクニヌシ、タケミカヅチ、サルタヒコなどの『記・紀』の神々が、英雄や生身の人間として登場する古代史です。
あるいは、彼らを祖とする天孫族、出雲族、日向族などという名の集団が覇権を争う物語です。
なんと弥生時代に!
これらは「神話の新たな解釈」や「創作物語」と考えれば面白いのですが、「古代史」として扱うわけにはいきません。
神話といえども、それらの神々の存在は何らかの古代の真実を伝えているのではないか、という意見も確かにあります。
しかし、たとえ古代からの伝承があったとしても、それらの材料は代を重ねるたびに変質し、最終的に編纂を主導した7、8世紀の知識層の感覚にマッチした事象だけが都合よく『記・紀』に反映され、現代にまで伝わっているのです。
「神話や、弥生時代の物語」と「古代史」は峻別すべきです。
『記・紀』の描写は、神武天皇が登場するあたりから次第に歴史時代の色彩が濃くなります。さすがに今は、神武天皇の実在を信じる研究者は少ないので横に置くとして、第10代天皇である崇神の頃からは『記・紀』の記述にかなり信頼が置けるようになってきます。
それでも古代史を論じるのであれば、その真偽について慎重な態度を維持したいところです。
繰り返しになりますが、『記・紀』が編纂された7世紀末から8世紀は、国家の仕組みが相当に整いつつあり、その中枢は、天皇家や官僚など、レベルの高い知識人が占めていました。
古代からの数多くの伝承のうち、当時の彼らの歴史感覚にマッチするものだけが受け入れられたのです。
一般的に歴史書は、その役割からして、編纂された当時の権力者層に都合の良い事象だけが強調される傾向にあります。『記・紀』は、歴史時代になってからも、多くの場面に創作、捏造、情報操作が紛れ込んでいるので、注意深く読み解く必要があります。後世の事象を大幅に遡らせた記事もたくさんあります。
当ブログでは、この先、具体的にたくさんの材料を提示し、検証していきます。
国家の骨格が出来あがりつつある6~8世紀と、縄文・弥生時代から続くムラ・クニが散在していた3、4世紀頃までの時代とは、そもそも人の思考や社会の様相がかなり異なっていると考える方が自然でしょう。
古墳時代の初め、すなわち3、4世紀頃までの古代の祈祷は、素朴な人間的な感情を吐露するものでした。航海の安全、天候、病気、収穫などの祈願が中心でしたが、6、7世紀以降の中央史観が、古代からの伝承を変質させてしまいました。
その上、古代シナの道教的発想が、6、7世紀の政治や神祇祭祀の中に急速に組み込まれてしまい、『記・紀』の中にも色濃く投影されてしまったのです。
私たちが目にする『記・紀』に記された事象は、アニミズムや八百万神が基底にあった時代(3~4世紀頃まで)とは、政治、文化、宗教の様相が相当に変質していると理解すべきです。
何よりも肝心なことは、国家神アマテラスの出現・定着は歴史が新しいのです。アマテラスを頂点とする神道は、弥生時代でも古墳時代前半でもなく、7世紀以降に整備されたものなのです。古代史を俯瞰する場合、非常に大切なことなので、いずれ詳しく述べる機会をつくります。
『記・紀』は古代史研究者にとってきわめて重要な土台ではあるが、あくまでも土台にすぎないので、古代史に資する部分を慎重に見究める必要があるでしょう。
当ブログは「理系脳」を標榜していますが、もちろん、古代史のすべてが合理的な理屈だけで解明されるはずもありません。今後の論考では、どうしても想像で埋める部分が出てくることでしょう。
その場合でも、「理系の視点」から逸脱することなく、あまりにも突飛でファンタジー満載の夢物語にならないよう心して論考を続けていきたいと思います。