理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前2世紀頃から6世紀頃までの古代史を再考する!

古代史各論

94 ヤマト国の伸張(3)和珥氏とは? 

第91回ブログの補足として、文献上から確認できる和珥氏について言及します。 和珥氏は、古代ヤマト王権を強力に支えた豪族とされていますが、その実像はあまりよく分かっていません。 ただ、ヤマト王権の軍事行動に際しては、外征に従事して版図拡大に貢献…

66 3世紀頃までの九州北部・山陰の交易(3)

前回の続きとして、四隅突出型墳丘墓と青谷上寺地遺跡について補足します。 四隅突出型墳丘墓 ヒトデのような格好の四隅突出型墳丘墓ですが、これら出雲の墳丘墓と吉備の楯築墳丘墓は、ほぼ同時期に存在したと推測されています。 そして、西谷3号墳丘墓の埋…

57 古代の瀬戸内海航行

実に多くの研究者が、瀬戸内海は古代から(研究者によっては縄文時代からとも)「歴史的な物流ハイウエイ」だったと述べています。 確かに多くの文物が行き来し、文化が伝播したことは間違いありません。 しかし、5世紀以後ならともかく、それよりも前の時…

50 ヒスイは語る

前回の黒曜石に続いて、遠隔地交易の存在を裏づける考古遺物として、ヒスイを取りあげます。ヒスイは、「空飛ぶ宝石」と言われるカワセミ(別名、翡翠とも)の羽毛の色に似ていることから命名されました。もともとカワセミの雄は「翡」、雌は「翠」と呼んで…

49 黒曜石は語る

<黒曜石の黒い層(神津島)> 今回と次回は、第25・26回のブログで予告した通り、黒曜石とヒスイに言及します。 当ブログでは、古墳時代前期までの海・陸の交通インフラが極めて貧弱だったことを確認してきました。一方、紀元前のはるか昔に、黒曜石・ヒス…

48 馬の利用

<勧修寺の菖蒲> 急遽思いつきました。陸上交通といえば馬を欠かすわけにはいきませんね。今回は馬について言及します(第44回ブログで予告)。 『日本書紀』には、スサノオ(神代だけど、あえて言えば弥生時代かな?)が、いろいろな乱暴狼藉をする場面で…

47 塩の道

<三室戸寺のしゃくなげ> 第44回ブログで予告した「塩の道」について言及します。 弥生時代、いや縄文時代の昔から、海を持たない地域には、どんな山奥であっても「塩の道」が通っていた可能性があります。その多くは今や役目を終えて消失し確認すら困難な…

33 暦の伝来

<初日の出> 令和2年を迎えました。年始にちなんで暦について書いてみようと思い、正月早々いろいろと調べてみました。 古墳時代の初め頃の日本には「暦」といえるようなものはなく、四季の変化を感じ、春になれば種をまき秋になれば収穫する、また月のめ…

13 神話が歴史をつくる!

江戸時代末期から大東亜戦争までは、特異な眼差しで古代史に向きあった時代でした。 周知のように、天孫降臨や神武東征はもちろんのこと、『記・紀』に記載された多くの神話や伝説も、歴史的事実として政治利用されたからです。 昭和の初期には、神武東征ル…

10 漢委奴国王印をめぐる諸説

前回記した「漢字伝来」の補足になりますが、西暦57年の漢委奴国王印(金印)について若干言及します。 この金印は、封泥のためのもの、駅鈴のような権威を表すものなどの諸説があり、奴国王が後漢の皇帝からもらったものとされています。 1784年、博多から…