理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前2世紀頃から6世紀頃までの古代史を再考する!

古代史本論・5世紀まで

129 ヤマト王権主導の技術革新(1)

<入道崎灯台と北緯40度モニュメント> 今回は、第102回ブログで予告した「河内平野における土木工事」について言及します。ヤマト王権が主導した「5世紀の技術革新」のなかでも代表的な事績と言えるでしょう。 もっともベーシックな土木技術 巨大古墳をは…

128 5世紀のヤマト王権のかたち(ここまでのまとめ)

<柊家旅館> ここまで何回かにわたって「5世紀のヤマト王権のかたち」に言及してきましたが、錯綜し煩雑なブログの連続となってしまいました。 新年を機に、ここで一旦まとめてみます。

127 馬見古墳群

<ブナ林> 今回は謎の多い馬見古墳群について概括します。第121回・124回ブログでも少々触れてはきましたが……。 馬見古墳群の立地 馬見古墳群は、4~5世紀の葛城氏が支配する「狭義の葛城地域」の北方にあり、そこは第124回ブログで確認したように、葛下…

126 「かづらき」地域集団と葛城氏(3)

<高鴨神社の正面鳥居 一言主神社の乳銀杏> 前回・前々回のブログで確認したように、葛城氏の権力基盤は、交通インフラを掌握してヤマト王権の対外交渉を担ったことにあるわけですが、今ひとつはヤマト王権の王の外戚となったことにあります。 今回は外戚と…

125 「かづらき」地域集団と葛城氏(2)

大和盆地という内陸に拠点を置いた葛城氏にとって、瀬戸内海の自由往来が困難だった5世紀までは、日本海側に出ることや九州北部地域に到達することは重要な政治課題でした。 彼らは、地域勢力と連携して交通インフラ(水運・海運)をおさえることでこの障害…

124 「かづらき」地域集団と葛城氏(1)

第91回~95回のブログでは、「おおやまと」と「さき」の王権や、有力集団である「ふる」地域集団(物部氏の祖か)と「わに」地域集団(和珥氏の祖か)に言及しましたが、大和盆地南西部の勢力(「かづらき」地域集団)には触れずじまいでした。 今回は、南西…

123 5世紀のヤマト王権のかたちを『記・紀』から推理する(2) 

前回の続きです。5世紀の大王の政治拠点と陵墓について確認してみます。 5世紀の大王の政治拠点 筆者は、応神・仁徳の頃までの『記・紀』の記述に疑義を呈してきましたが、仁徳の3人の息子と孫の記事にはある程度の信憑性があると考えられる(前回ブログ…

122 5世紀のヤマト王権のかたちを『記・紀』から推理する(1)

<薬香草園> 神武の伝承は、全体としては後世に造作されたものです。大伴氏や物部氏、倭氏らがみずからの祖先の功績を顕彰するために、神武東征の物語が整えられ、『記・紀』編纂の際に採録されたということは、今までのブログで述べました(第81回ブログな…

121 大王墓から5世紀のヤマト王権のかたちを推理する!

<薬香草園> 第118回ブログでは、「倭の五王」を『記・紀』の大王に比定することがいかに困難か確認しました。その「五王」による王権は、実は唯一の「王の中の王」ではなく、「複数の王」によって構成されていたのかもしれません。 今回は第90回・101回ブ…

120 古市古墳群と百舌鳥古墳群

<田野倉の棚田> 河内平野の変遷については、第78回ブログで神武東征を論じる時に言及しました。5世紀頃までの河内には、大阪湾から切り離された河内湖がまだ存在していましたね。 河内は上町台地を除いては概して低地で、河内湖に向けて、北東から淀川・…

119 5世紀の日本を紐解くにあたり……

「5世紀の日本」を紐解くに当たって、まずは今までのブログで確認できたこと、今後言及したいことについて列挙してみます。 〇 4世紀半ばに、ヤマト王権は「おおやまと」地域から「さき」地域へ重心を移し、「ふる」「わに」の勢力を前面に立てて金官伽耶…

118 「倭の五王」は誰のこと?

3回にわたって古代朝鮮半島の状況を確認してきましたが、三韓やシナの史料には「倭」「倭王」という言葉が頻出します。 筆者は「倭」という言葉が嫌いなので、「日本」「日本列島」「九州北部」「ヤマト王権」などと適宜置き換えています。そして海外の史書…

117 5世紀までの朝鮮半島、日本との通交・対峙(3)

前回からの続きです。 栄山江流域の前方後円墳 朝鮮半島南西部の栄山江流域(えいさんこう)には、日本の古墳と酷似する前方後円墳が13基確認されています。これらの前方後円墳は突然出現して、急速に姿を消しています。5世紀後半から6世紀前半に成立した…

116 5世紀までの朝鮮半島、日本との通交・対峙(2)

前回ブログの続きです。 高句麗・三韓の合従連衡 391年に高句麗では広開土王(好太王とも、在位391~412年)が即位し、百済に占領(371年)された領土の回復を図り、396年には漢江以北の地を奪回します。そこに至る高句麗変貌の歴史を確認してみます。 4世…

115 5世紀までの朝鮮半島、日本との通交・対峙(1)

第97回ブログで朝鮮半島の古代史を概括しました。 また、4世紀における日本と百済・伽耶の関係については第111回ブログでやや詳しく言及しました。しかし、それでもまだ足りません。 今後、5、6世紀までの日本の古代史に触れるには、遠交近攻が渦巻く朝鮮…