理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前2世紀頃から6世紀頃までの古代史を再考する!

神社

158 熊野三社

<エメラルドグリーンが鮮やかな熊野川> 筆者は以前から紀伊熊野には大きな関心を持っていました。 「一宮」でもなく、「二十二社」に列することもないが、古来の有力古社で現在でも隆盛している神社は、宗像大社の他では熊野三社が筆頭でしょう。 そして以…

157 宗像大社と厳島神社

<宗像大社本殿> 今回は、祭神が宗像三女神に関係する宗像大社と厳島神社について確認してみます。 神話にみる宗像三女神と宗像氏が祀った三女神 宗像三女伸は、アマテラスがスサノヲの持っている十拳劔(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した…

156 富士山本宮浅間大社と浅間信仰

<対馬に向かうANAの畿内から> 今回は、日本のシンボルとして古代から崇められてきたであろう富士山と浅間信仰に関係する神社について掘り下げてみます。 しかし、7世紀以前、富士山や浅間信仰に関する記述はほとんどなく、中央における関心が著しく低…

155 大山祇神社と三嶋大社

<大山祇神社拝殿> 今回は、『古事記』神話で有名な大山津見神(おおやまつみ)と事代主神(ことしろぬし)に関係する有力二社、伊予国一宮の「大山祇神社」と伊豆国一宮の「三嶋大社」を取り上げてみます。なぜ東西に遠く離れた2社を取り上げたのか、実は…

154 氷川神社

<氷川神社楼門> 今回は、関東地方の在住者には馴染み深い武蔵国一宮の氷川神社について言及します。しかし関西などではほぼ無名に近いというから驚きです。 その謎解きも含め確認してみたいと思います。 十八丁もの長い参道は旧中山道だった! 「氷川神社…

153 伊弉諾神宮と多賀大社

今回は、『記・紀』神話の中で、国生み・神生みで有名なイザナキ・イザナミに所縁の伊弉諾神宮(淡路国一宮)と近江の多賀大社に焦点を当ててみます。 イザナキ・イザナミの名の由来はいろいろな謎解きがありますが、もっとも一般的な解釈は、「イザ」(誘う…

152 諏訪大社

<左は春宮の二之御柱、右は秋宮の一之御柱> 『古事記』神話の中で、タケミナカタが敗走して諏訪の地に留まる物語は、奇妙としか言いようがありません。オオクニヌシの系譜にないのに唐突に登場し、以後どこにも登場しません。しかし、諏訪の人びとは敗走し…

151 鹿島神宮・香取神宮

<香取神宮の拝殿と御神木> 今回は、出雲の国譲りの際、高天原から派遣された武神タケミカヅチとフツヌシの来歴と、二神を主祭神として祀る鹿島・香取の両神宮の謎について言及します。 まずは、古文献に記された祭神について確認してみます。 『記・紀』『…

150 住吉大社・住吉4社

<住吉大社第二本宮・第三本宮> 今回は、三韓征伐で活躍したと伝わる神功皇后ゆかりの住吉大社と各地の住吉神社について言及します。 上町台地と住吉大社境内 「住吉大社」は、大阪市南西部に南北に長い舌状の上町台地の南のつけ根部分にあります。そこから…

149 賀茂別雷神社と賀茂御祖神社

<瀬見の小川> 神武東征の場面には八咫烏(やたがらす)が登場します。 今回は、ヤタガラスにゆかりがあるとされる賀茂大神や賀茂社の創始事情について言及します。 神武東征と八咫烏 八咫烏(やたがらす)は、神武東征の途中、熊野の地で神の毒気に接して…

148 大神神社と石上神宮

<注連柱の先に大神神社の拝殿> 今回は、5世紀以降、ヤマト王権のお膝元で隆盛した大神神社と石上神宮に光をあて、その創始と変遷ならびに伝承について言及します。両社は古代のハイウエイ「山の辺の道」で結ばれていました。 筆者は、全国の一宮103社を参…

147 出雲大社と熊野大社

<左、宍道湖の夕日 右、宍道湖北岸の佐陀付近> 今回は出雲国で大社と称される2社について言及します。 出雲国には、東部の意宇地方に熊野大社、西部の杵築地方に出雲大社と、一宮が2社鎮座しています。 2011年、出雲大社は60年に一度の遷宮が、伊勢神宮…

146 伊勢神宮と志摩国一宮

<左、伊勢神宮内宮の神楽殿、右、瀧原宮の参道> アマテラスと言えば伊勢神宮というくらい、両者は密接なつながりがあります。その伊勢神宮に筆者は3回、参拝しています。 2008年8月10日 2010年12月1日(御垣内参拝) 2013年8月1日(御白石持行事) 今…

141 丹波・丹後の豪族

<阿蘇海と天橋立> 前回は日向諸県君氏について詳述しましたが、今回は、これまでも繰り返し触れてきた「丹波・丹後の豪族」を取り上げます(第69回・82回・95回・96回・110回ブログで言及した)。 ただし過去の内容は、ヤマト王権の歴史に付随して言及した…

131 ヤマト王権の祭祀

<大神神社拝殿> 前々回から2回にわたって、河内平野を主体とした技術革新について言及したので、5世紀のヤマト王権の本拠地は河内の難波であったかのようにも思えてしまいます。 ヤマト王権は河内平野へ進出したことによって、産業基盤を強化し、瀬戸内…

126 「かづらき」地域集団と葛城氏(3)

<高鴨神社の正面鳥居 一言主神社の乳銀杏> 前回・前々回のブログで確認したように、葛城氏の権力基盤は、交通インフラを掌握してヤマト王権の対外交渉を担ったことにあるわけですが、今ひとつはヤマト王権の王の外戚となったことにあります。 今回は外戚と…

125 「かづらき」地域集団と葛城氏(2)

大和盆地という内陸に拠点を置いた葛城氏にとって、瀬戸内海の自由往来が困難だった5世紀までは、日本海側に出ることや九州北部地域に到達することは重要な政治課題でした。 彼らは、地域勢力と連携して交通インフラ(水運・海運)をおさえることでこの障害…

98 ヤマト国の伸張(6)4世紀の遠征物語は虚構!

4世紀は、『記・紀』の歴代天皇に当てはめると、崇神の後の垂仁、景行、仲哀、応神の時期に対応します。 そこには大王家が華々しく遠征して、版図を拡大していく様が描かれていますが、伝承的で真実味に欠けるような内容が多いのが特徴です。 崇神による四…

96 ヤマト国の伸張(5)南山城・丹後に影響力拡大

「纒向のクニ」が大和盆地内で「ヤマト国」として隆盛する時期を経て、「ヤマト王権」は周辺(盆地の外)へと版図を拡大します。ただし、明確な王権への取り込みと言うよりは、交易を通じて周辺に影響を及ぼし圧を強めたというくらいの方が実態を言い当てて…

80 神武東征(4)先住の神ニギハヤヒ

大和の先住者は出雲の勢力? 奈良盆地の東南部に位置する纏向地域では、高度な建物群遺跡が発掘されています。崇神・垂仁・景行という三代の天皇(三輪山三代)の拠点と考えるのが常識的ですが、大型建物の造りは出雲系の特色を残しており、古代出雲と政治的…

77 神武東征(1)日向からの旅立ち

邪馬台国の存在は信じても、神武東征を史実とみなす研究者はさすがに少ないようです。 筆者も神武東征物語や神武天皇の実在をベースとした古代史には与しません(第76回ブログ)。 それでもこの物語を無碍に扱わずに紐解いてみれば、さまざまな発見があって…

69 海部氏と本系図・勘注系図

<丹後国一宮 籠神社の神門> 前回・前々回は代表的な海人族の活躍についてレビューしたので、今回は丹後海部氏について言及することにします。 筆者は、2011年、2013年の2回、海部氏が宮司を務める丹後国一宮「籠神社」に参拝しているので、その旅行記を兼…

68 古代のダイナミズムを生んだ海の民(2) 

<住吉大社 第二本宮本殿> 前回に続いて、海の民について言及します。 津守氏について 安曇氏や宗像氏は、先進地域であった朝鮮半島から鉄器をはじめとする文物の輸入に深くかかわることでヤマト王権の権力基盤の強化に貢献してきました。 しかし6世紀にな…

67 古代のダイナミズムを生んだ海の民(1)

弥生時代末期から3世紀頃までの日本海側の交易について概括したので、今回は、第52回・53回ブログで予告した「海の民の活躍」について考えてみます。 チャレンジ精神で交易を担った海民集団 現在の日本は、4つの大きな島を含め合計6852もの島から成りたっ…

47 塩の道

<三室戸寺のしゃくなげ> 第44回ブログで予告した「塩の道」について言及します。 弥生時代、いや縄文時代の昔から、海を持たない地域には、どんな山奥であっても「塩の道」が通っていた可能性があります。その多くは今や役目を終えて消失し確認すら困難な…

16 神社の起源と祭神

<若狭彦神社本殿と中門 手前は拝殿跡> 前回は、アマテラスを祀る伊勢神宮の歴史が7世紀より前には遡らないことを確認しましたが、今回は一般の神社と古代史との関連を探るため、その起源や変遷について考えてみます。 謎に包まれた神道・神社の起源 神道の…

15 伊勢神宮

<伊勢神宮で放し飼いされている神鶏> アマテラスと言えば伊勢神宮というくらい、両者は密接なつながりがあります。今回は伊勢神宮の創建、由緒、歴史などについて掘り下げてみます。その前にちょっと……。

2 今の古代史に抱く「違和感」

筆者は長年にわたって『古事記』『日本書紀』を研究し、さらに5年かけて、全国津々浦々に鎮座する「一宮」103社をすべて参拝しました。ちょっとした自慢でもあります。 日本各地には 8万社以上もの神社が存在します。その中で歴史が古く格式の高い神社は「…