古代日本の自然
実に多くの研究者が、瀬戸内海は古代から(研究者によっては縄文時代からとも)「歴史的な物流ハイウエイ」だったと述べています。 確かに多くの文物が行き来し、文化が伝播したことは間違いありません。 しかし、5世紀以後ならともかく、それよりも前の時…
自然障壁が邪魔をする古代日本では、陸路だけで遠方の目的地や山深い奥地に到達するのは困難なことでした。 陸路の代わりに遠隔地を結んだのは地乗りによる沿岸航海であり、そして内陸部へは河口から遡る河川舟運があり、さらにその奥地にも舟越道などが存在…
<ギリシャの地形図> ギリシャの空間構造に似た日本列島の地形 前回のブログで言及した「脊梁山脈の縦貫・分断された国土・狭く少ない平野」に関連して、松木武彦氏による興味深い論考を見つけました。当ブログにとって大切なポイントなので、少々長くなる…
<脊梁山脈> 魔法の絨毯に乗って移動? 筆者は声を大にして言いたい! 3、4世紀頃までの自然の姿を考慮しない古代史は、すべて真の古代史ではないと……。 研究者が提示する多くの古代史は、当時の自然の姿に無頓着か、それにはあえて目をつむっているよう…
<菜の花> 第38回ブログで言及した潟湖について、もう少し掘り下げてみます。 潟湖は砂州によって外海との出口をふさがれた湾のことで、海跡湖またはラグーンとも呼ばれます。 交通の要衝地であった潟湖の周辺は、比較的広い平野が形成されているため、古く…
紀元前2世紀頃から6世紀頃までの古代を俯瞰する場合、縄文時代からの気象と、その気象がもたらした影響を頭に入れておく必要があります。 現代人の私たちが目にする風景(地形)と明治時代より前の風景(地形)は別物です。 ましてや6、7世紀より前の地…
今回から数回かけて、日本列島に関する、その特異な地形、大陸からの過不足ない絶妙な距離、縄文海進の名残、点在する潟湖などについて掘り下げてみます。古代史を論じる場合には、これらを避けて通ることはできません。立ちはだかる自然そのものが古代人の…
<荒れる海> 前回のブログからの続きで、日本列島人の来歴を民族、人種の観点から紐解いてみます。 縄文から弥生への移行は平和裏に進んだ 最近の学説では、紀元前10世紀頃、水田稲作の技術が長江下流域の江南から九州北部と朝鮮半島南部に伝わり、日本では…