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前回の黒曜石に続いて、遠隔地交易の存在を裏づける考古遺物として、ヒスイを取りあげます。ヒスイは、「空飛ぶ宝石」と言われるカワセミ(別名、翡翠とも)の羽毛の色に似ていることから命名されました。もともとカワセミの雄は「翡」、雌は「翠」と呼んで…
<黒曜石の黒い層(神津島)> 今回と次回は、第25・26回のブログで予告した通り、黒曜石とヒスイに言及します。 当ブログでは、古墳時代前期までの海・陸の交通インフラが極めて貧弱だったことを確認してきました。一方、紀元前のはるか昔に、黒曜石・ヒス…
自然障壁が邪魔をする古代日本では、陸路だけで遠方の目的地や山深い奥地に到達するのは困難なことでした。 陸路の代わりに遠隔地を結んだのは地乗りによる沿岸航海であり、そして内陸部へは河口から遡る河川舟運があり、さらにその奥地にも舟越道などが存在…
<山越えの径> 『記・紀』を読むと、弥生時代から5世紀初めまでの日本列島で、軍隊や権力集団が遠征したり広域移動する記事が頻出します。難所に遭遇したかのような描写もありますが、その詳細には触れておらず、大集団にしては大した困難もなくスムーズに…
<菜の花> 第38回ブログで言及した潟湖について、もう少し掘り下げてみます。 潟湖は砂州によって外海との出口をふさがれた湾のことで、海跡湖またはラグーンとも呼ばれます。 交通の要衝地であった潟湖の周辺は、比較的広い平野が形成されているため、古く…
<水仙> NHK・BSプレミアムの人気テレビ番組「英雄たちの選択」を見ていて、少々気になったことを記します。 放映されたのは昨年4月24日で、タイトルは『追跡! 土偶を愛した弥生人たち』でした。
第20回のブログでは、2~3世紀頃の日本列島の人口状況についてレビューしました。 一言でいえば、とんでもない過疎だったということに尽きますね。 その頃の日本列島では、人はどのようにして移動し、モノはどうやって運ばれ、情報はどのくらいのスピード…