理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前2世紀頃から6世紀頃までの古代史を再考する!

2 今の古代史に抱く「違和感」

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 筆者は長年にわたって『古事記』『日本書紀』を研究し、さらに5年かけて、全国津々浦々に鎮座する「一宮」103社をすべて参拝しました。ちょっとした自慢でもあります。

 日本各地には 8万社以上もの神社が存在します。その中で歴史が古く格式の高い神社は「一宮」と呼ばれ尊崇されてきました。それらをすべて巡拝する「全国一宮めぐり」は、数ある「全国〇〇〇めぐり」の中でも、もっともチャレンジングで達成困難なものでしょう。

  昔は交通の要衝地だったのに、交通手段の変化によって取り残され、今や辺鄙な地方の片隅にひっそりと鎮座している「一宮」も数多いです。また、いくつかの「一宮」はアクセスの極めて悪い離島にもあるのです。

 そのすべてをもれなく回り切るのは、探求心を燃やし続けなければ成し得ない一大イベントだと思うのです。筆者にとっては、人生に彩りを添えてくれる貴重な体験でした。
 筆者を虜にした「一宮めぐり」の魅力についてはいずれ詳しく触れてみたいと考えています。

 
 103社の「一宮めぐり」は、近場こそマイカーを使うも、大半の遠隔地については自宅から飛行機や新幹線で現地に移動し、レンタカーを運転しながら巡拝しました。
 レンタカーを使うことで、自分なりのペースで現地の姿に触れることができ、十分に納得のいく旅ができました。そして、事前のプランニング、深掘り調査、事後の写真整理を通じて、次第に現地の地勢・地形に興味を持つようになり、古代の自然を思い浮かべながら古代史を思案するようになっていったのです。
 それは『記・紀』で学んだことをなぞる旅でもありました。

 
 この経験は大きな財産となりました。そして古代における統治には「交通インフラの充実」や「技術の進歩」が絶対的な必要条件と考えるに至ったのです。
 当ブログでは、この視点を大切にして、定説・通説も含め古代史をレビューしてみたいと思っています。

 旅先で古代の姿を想像し、戻ってからは古代史の講演を聞き、書籍を読み、討論をし、その都度抱いた「違和感」をメモで残していきました。膨大な蓄積です。
 「違和感」の対象は、アカデミズム、ジャーナリズム、出版業界、利益誘導に懸命な町おこしなど多方面にわたります。

 
 「違和感」の例をいくつか挙げてみます。

 筆者は宮崎県から鹿児島県にかけて2回ほど、延べ10日間をかけて旅行しました。天孫降臨の地であり、神武天皇の生誕の地でもあり、東征の出発地とされているからです。
 「一宮めぐり」のついでに、宮崎、鹿児島両県にある古代史関連の史跡や伝承地、そして神社を片っ端から回ってみたのです。どこも由緒が麗々しく語られ、立派な碑が建っていました。
 でも裏づけ調査をしてみたところ、驚くことに神武の時代(1世紀後半から2世紀頃か?)に遡る事実を伝えるものは、何もなかったのです。これについては、いずれどこかの論考で詳述します。

 また、「人・モノ・情報の流れ(移動手段や移動プロセス)」に言及がないまま、古代史が組み立てられていることに大いなる疑問を感じました。
 弥生時代から3世紀頃までの丸木舟しかないような時代踏み分け道のような交通路しかなかった時代、しかも文字の体系が確立されていなかった時代に、瀬戸内を渡る東征や、長距離遠征を含む広域戦闘、さらには連合政権の成立や、中央による広域統治が本当に可能だったのでしょうか。

 このことに言及しない古代史の何と多いことか。研究者は見て見ぬ振りをしているのでしょうか。それともこのことに気づいていないのでしょうか。

 
 筆者は、
古代の交通路とそれを下支えしたモノづくり技術にもっと光をあてないと、真の古代史にはたどり着けないだろうと
考えています。

 他にも、
「邪馬台国・ヤマト王権連続説」
「短期間でのヤマト王権広域支配説」
「ヤマト王権に先立つ出雲政権説」
「神武、ニギハヤヒ、応神などのヒーローによる東征説」
「四道将軍の遠征」
「ヤマトタケルの獅子奮迅の活躍」
「神功皇后の三韓征伐」など、

 どれも物語として読むには面白いが、古代史を標榜するには無理があると感じた次第。これらにも逐次、触れていくことにします。

 
 古代史では通説となっている「前方後円墳体制説」は、今や支持者の数で見れば、プロの学者を中心に圧倒的な多数派でしょう。
 「前方後円墳体制」とは、一言でいえば、古墳時代の当初から、前方後円墳を頂点とする古墳の類型と、それに基づく一元化された政治秩序が存在し、すでに国家段階に達していたとする国家形成概念ですよね。
 しかし科学的というよりは情緒的に通説化しているに過ぎないのではないでしょうか。単なる古墳の類型から政治秩序のかたちを導き出すのは飛躍が過ぎると筆者は考えます。

 
 このような現状をブレークスルーする視点が人・モノ・情報の流れ」であり、それを下支えする「技術や交通インフラ」です。

 
 一方、古代の史実としては否定されようとも、建国神話が作られ伝承されてきた歴史そのものは否定できません。悠久の歩みを刻んできた日本人の素晴らしさを感じたいですね。
 その姿勢を軽んじることなく、建国神話に関係のある神社(有名古社)の起源や祭神をめぐる諸説についても、当ブログの中で、筆者の見立て・見解を整理して取りあげていきます。
 本稿では、神武天皇、崇神天皇や卑弥呼をめぐる諸説と史実の関係、アマテラスやスサノオ、オオクニヌシなどの建国神話に登場する神々の相克の物語と史実との関係についても徒然なるままに綴っていく予定です。

 
 紀元前の弥生時代から6世紀頃までの古代史には、たくさんの異説が存在します。トンデモ説も多いですね。
 科学的に見える考古学は、断片としての資料を提供することは出来ますが、微に入り細を穿つあまり大局観に欠け、かえって古代史の全体像を見誤るリスクも抱えています。

 

  これらに警鐘を鳴らす本稿に対しては、反論も多いでしょうが、飽くまでも「理系的視点」から一直線に筆者の思いを開陳していきたいと思っています。