理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前2世紀頃から6世紀頃までの古代史を再考する!

4 超人、稗田阿礼がいたとしても……

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 『古事記』の編纂には謎が多いし偽書だとする説もあります。『古事記』が、江戸時代後期まで、表舞台にほとんど登場せず埋没していたのに対し、『日本書紀』の方は、編纂の翌年から平安期まで、官僚の教科書として機能してきました。
 それはともかく、今回は稗田阿礼の誦習(しょうしゅう)について考えてみます。

  『古事記』の序には、編纂の経緯が述べられています。

 <姓は稗田、名は阿禮、年はこれ廿八。人と為り聡明にして、目に度れば口に誦み、耳に拂るれば心に勒しき。すなはち、阿禮に勅語して帝皇日繼及び先代舊辭を誦み習はしめたまひき>

 <和銅四年九月十八日をもちて、臣安萬絽に詔りして、稗田阿禮の誦む所の勅語の舊辭を撰録して獻上せしむといへれば、謹みて詔旨の隨に、子細に採り摭ひぬ> 

とあり、翌、和銅五年正月廿八日(西暦712年)に、編纂された『古事記』が太朝臣安萬絽から元明天皇に献上されています。

 「誦習」の意味については、節をつけて読み上げるという説と、暗唱するという説があります。「誦」は節をつけて読み、「習」は繰り返して覚えるというイメージなので、節をつけて発声しながら暗記する、または難読漢字を訓読みですらすら読み上げるということでしょうか。
 天武天皇の時代に、28歳で記憶力抜群の稗田阿礼に勅語の帝紀・旧辞のすべてを暗記させ、それから20年以上も経った元明天皇の時代に、太安萬絽が彼の記憶から引き出して筆録したというわけです。

 太安萬絽がわずか4ヵ月余で『古事記』を編纂した能力はもちろん非凡ですが、稗田阿礼も抜群の記憶力があったことになります。眉唾とも思うのですが、そんなはずがないと否定するだけの根拠もありません。
 通説では阿礼は人間離れした記憶の持ち主ということになっていますが、おそらく備忘録か覚え帳のようなものを大量に作って書き留めていたのだろうと思います。

 しかし、仮に、阿礼が記憶力に関して超人的だったとしても、彼(彼女かも)の記憶は、どのくらい昔からの伝承なのでしょうか。

 文字のない時代の伝承とは伝言ゲームそのものですよね。私たち凡人ではわずかな言葉すら、数人を経ただけで変化・変質してしまいます。
 阿礼のような超人が実在して、記憶力の際立つ時期が20年続いたとしても、その記憶の元は20年前のものに過ぎません。そのような超人が20人以上は連続しないと、7、8世紀の世に3、4世紀以前の事象は正確に伝わりません。

 したがって、文字の体系的な使用が認められる6世紀より前の、例えば紀元3、4世紀頃までの事象は、口伝を通じてしか7、8世紀の世には伝わらず、はなはだ心もとない状態なのです。

 おそらく、稗田阿礼が誦習した内容は、長きにわたって伝承された結果、7世紀頃に当たり前のように流布していた事象(『古事記』序によれば帝紀・旧辞そのもの)ということになります。
 伝承が抱える問題は『日本書紀』の編纂についても当てはまります。

 『記・紀』の編纂は、7世紀頃の支配階級・知識階級の間で、中央・地方を問わず一般化していた伝承や認識がベースになっているのであって、3、4世紀頃までの歴史的事実が元になったものではありません。

 イタコが扱う呪術も口伝なので、記憶力がベースですが、イタコであればともかくも、数百年にも及ぶ歴史となると、代々、語り継がれる口伝に重きを置くことはとてもできないですね。

 『記・紀』が編纂された7、8世紀頃の人たちが、紀元前後から4世紀までを語るということは、現代人が平安初期から江戸時代初期までの出来事を語るようなものです。
 文字記録があるにもかかわらず、その間の出来事は多くの軍記物や語り物の中で、大きく脚色され、あるいは歪められて伝わっているのが現実です。

 

 長いあいだ正しいとされてきた歴史的事実や事件が、最近になって実は違っていたとして再評価されることは実に多いですよね。
 平清盛の極悪非道、源義経の判官贔屓、足利尊氏逆賊説、日野富子悪女説、明智光秀謀反の一方的非難、忠臣蔵における悪玉吉良上野介、等々……。
 現代になっても、司馬遼太郎による坂本龍馬の異常なまでのヒーロー化、など枚挙に暇がありません。
 このような実例は、井上章一氏の『妄想かもしれない日本の歴史』の中で、たくさん紹介されています。
 これだけマスコミが発達している現代でも、直近の現代史の解釈すら怪しいわけです。大東亜戦争後のアメリカの情報操作が戦後70年たっても払拭されていないではないですか。

 こういうことは、歴史的なターニングポイントに、巧みな為政者やシナリオライターが存在すれば容易に操作・誘導できます。ましてや現代のようなマスコミのなかった古代にあっては、権力者が意図さえすれば何でもできたはずです。

 文字記録があってもこの有様です。
 『記・紀』の3、4世紀頃までの描写については、つまり雄略より前の文字記録がなかった時代については、手放しで受け入れるわけにはいきません。
 もちろん、すべてを受け入れないというわけにもいきません。変化・変質しながらも古代からの伝承や無文字時代の文化・慣習がたくさん含まれている可能性が高いからです。古代史の研究者にとって、この匙加減はまことに難しいところです。

 ついでなので、次回は『古事記』に対して対照的なスタンスをとった本居宣長と津田左右吉について、レビューします。