理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前後から6世紀頃までの古代史を再考する!

5 『古事記』に対する極端なスタンス

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『古事記伝』について
 『古事記』の注釈書である『古事記伝』を著した本居宣長は、それまで埋没して顧みられなかった『古事記』を江戸時代末期・近現代に蘇らせた功労者です。
 『古事記伝』がなければ、現在の古事記研究は存在しなかったでしょう。

  『古事記伝』は幕末以降、日本神話を基にした新しい価値観を日本人に芽生えさせ、日本の歴史を大きく変えた書物です。

 しかし、宣長は『古事記』の叙述のすべてをそのまま真実とし、外来の影響を全く受けない日本古来の考え方、精神性に立ち返ることの大切さを説き、「やまとごころ」をひたすら称揚し、儒教的な「からごころ」を忌避する態度を貫き通しました。

 宣長にとって『日本書紀』は後の世の「からごころ」による潤色・虚飾に満ちたものであり、一方の『古事記』は古伝承をそのまま記し、古代の真実を伝えたものであるとして評価したのです。
 神代の神の多くは人であると考え、神代の物語を古代の歴史として解釈しようとしました。

 宣長を称揚した明治時代の思想的重鎮、村岡典嗣の著書に、
 <これは我が国の古典に伝えられた神代の事実である>
 <言い伝えと文字伝えには各々特質があって、必ずしも言い伝えが、文字伝えに比べて誤りが多い理由はない。殊に、文字のない世は文字のない世の心なるが故に、たとえ言い伝えであっても、文字のある世の言い伝えとは大いに異にして、浮きたることはさらにない>
というようなくだりがあります。

 近現代の古代史は、このような口伝や伝承を無批判に受け入れる論調に引っ張られてきたのです。

 

 肥後和男氏は、著書の中で、
 <本居宣長などは、それが太初以来一言半句のちがいもなく伝承されて来たように考えていたが、それは伝承の歴史性を全く理解しなかったためである>
と述べています。

 『古事記伝』は、近現代の日本に大きな影響を与えましたが『古事記』のすべてを真実とすることは、宣長による明らかなミスリードだったといえるでしょう。

 文字が使用されず、したがって思想が定着しなかった古代においては、古くからの伝承は、社会や生活レベルの変化に伴って変質していったと理解すべきです。



津田左右吉

 昭和に入ってから津田左右吉は、『記・紀』を政治的作為の産物と見なし完膚なきまでに批判しました。
 彼は、昭和の皇国史観全盛期に、記紀神話は編纂当時の政治思想の表現であるとして、合理的思考による批判を展開したのです。

 彼の著書『古事記及び日本書紀の研究』は、今読んでもなかなかおもしろい力作で、内容の多くは正鵠を射ており、その批判精神は大いに参考になります。
 同書の中で、津田は、
 <記紀の記載は一体どういう性質のものか、それは歴史であるかどうか、もし歴史だとすれば、それはどこまで事実の記載として信用すべきものか、もしまた歴史でないとすれば、それは何であるか、あるいはまたそれにあらわれている風俗や思想はいつの時代のこととして見るべきものか、という問題である。この点を明らかにしてかからなければ、記紀の記載を基礎にしての考察は甚だ空疎なものになってしまう>
と述べています。

 

 しかし彼は文献実証研究に傾きすぎるきらいがあり、考古学的・民俗学的な知見には重きをおきませんでした。
 特に応神朝が4世紀の後半にあることを動かすべからざる事実とし、文字が伝えられ記録がとられはじめた応神以降の記紀の記載についてはまだしも、仲哀・神功以前については紀年が明確でなく、天皇の系譜も史実とよべる部分はなく、日本の民族あるいは国家の起源について知るためにはまったく史料価値を持っていないとして、徹底的な批判対象としました。

 一例を挙げれば、新羅征討に関する神功紀について、津田は、神の託宣や神功の行動として語られる征討物語の種々の「説話」はいずれも事実としては認めがたく、その後の歴史的事実の明白な時代になってからも、たったの一度も朝鮮への親征はなかった、と言います。

 

 高城修三氏は、このような津田左右吉の姿勢について、次のような文面で批判していますが、納得性の高いものです。

 <いかに練達の小説家であっても、神功紀を机上で創作することは不可能であろう。また新羅征討譚は朝鮮史料たとえば広開土王碑文や『三国史記』の記述と複雑に呼応している。石上神宮の七支刀銘文もそこに加わる。『風土記』や『万葉集』にも西日本各地の伝承にも、多くの神功伝説が残されている。そのような神功の新羅征討譚が、四世紀から七世紀の白村江敗戦まで大和朝廷を悩まし続けた半島問題から全く孤立した事件と言えるだろうか。しかし、津田はそれを「説話」の一言で片付けてしまうのである。津田が「伝説」と言えば、それが史実になる。>

 <歴史学はつまるところ文献の学である。しかし、史料が極めて限られる古代史にあっては、津田のように確かな記録(確実な史料)のみを絶対化し、伝承の類いを「説話」として排除してしまうと、そこに隠されている真実まで見失い、あとに残るのはやせ衰えた歴史でしかなくなってしまうだろう。>

 

 大津透氏の言にも、
 <「記紀」の伝承は後世作られたものだとし史料的価値を認めず、触れないのは、一見客観的で科学的にみえる。近年は「記紀」の史料批判を中心にすえて大化前代の歴史を考えることに真剣にとりくむ人は少なくなった。しかし史実でないとしても、「記紀」に何が書いてあるのか知らないで研究しているのでは論外である。困難は多いにしても、いかに史料(記紀)に多くを語らせるかが、やはり古代史の醍醐味だろう>
とあります。

 

 あらためて思うのは、『記・紀』は、古代(無文字時代)の事実や古代人の思考の明らかな断片を伝えてもいるわけで、すべてを等閑視するわけにはいかないということです。古代史を論じる場合に、『記・紀』はあくまでも土台の役割を負う貴重な文献です。

 さらに、『古事記』は抒情性豊かな「語り」の文学で、そこを味わってこその『古事記』だと言う識者もいます。「歴史」の側面にしか関心のない筆者にはなかなか入り込めない高尚な領域です。そこは百戦錬磨の専門家に任せるしかありません。

 

 次回は、下火になったとはいえ、論争の続く『古事記』偽書説について、深掘りしてみます。


参考文献
『神話・伝承と古代文化』肥後和男
『本居宣長』村岡典嗣 
『古事記及び日本書紀の研究』津田左右吉
『紀年を解読する 古事記・日本書紀の真実』高城修三
『天皇の歴史01 神話から歴史へ』大津透
他多数