理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前後から6世紀頃までの古代史を再考する!

6 『古事記』の「序」について

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 天武天皇が、『古事記』と『日本書紀』の編纂をほぼ同時に命じたことについて、次のように説明されることが多いですね。
 「古事記は国内向けで天皇家の私的な歴史書であるのに対して、日本書記は国外を意識して編纂された公式の歴史書である」。
 筆者は、この子供だましのようで、こじつけとも思える解釈に、何となくしっくりこないものを感じていました。

  

 編纂時期や「序」の様式から、『古事記』が偽書だという説が、江戸時代から続々と提示されています。
 奈良時代の権威ある史書『続日本紀』に、『古事記』編纂の記録がまったく見えないこと、現存する『古事記』が編纂時期とされる712年から660年も経った14世紀の写本(真福寺本)なので、筆写内容について疑念が残ること、などによります。
 多くの論者が偽書説を展開していますが、これらの中では、三浦佑之氏の『古事記のひみつ』が論理明快で、大いに得心が行きました。

 氏によれば、『古事記』の本文は偽書ではなく、本文の編纂時期は、「序」に記された712年ではなく、7世紀後半までには完成していたということになります。

 

 『日本書紀』が物語のおもしろさを極力排し、すべての記事を天皇に収斂し、揺るぎない国家と天皇の絶対的な立場を確認しようとしたのに対し、『古事記』の本文は古層を宿す「語り」をもとにしたもので、律令国家とはなじまない部分があまりにも多すぎます。

 いくつか例をあげれば、律令国家の歴史認識にとって、『古事記』にあるような出雲神話はもはや必要がないし、ヤマトタケルと景行天皇との修復不能な描き方も律令国家が理想とする親子関係ではないし、卑猥や笑いや下品な表現も官僚が身につけるべき規範としては排除したいのです。
 したがって、律令制度を基盤に国家の体制を整備しつつあった天武天皇(在位673~686年)以降の時期に、その国家自身の手で、反王権的・反国家的な英雄や人物を感動的に語り、そこに美意識や一定の価値を認める『古事記』が編纂されることはあり得ないと考えるのが自然です。

 逆に言えば、『古事記』は律令制度が整備される以前のどこかの時期、おそらくは7世紀後半までに編纂されていたということになるわけです。
 西郷信綱は、「古事記の関心は推古朝あたりで、ないしは律令制の開始とともに終わるところのあるもの」へ向けられ、「日本書紀の関心が続日本紀以下の六国史へと続いてゆくあるもの」へと向けられていると述べています。

 

 結論として三浦氏は、「序」を除く『古事記』本文は偽書ではなく、それまで埋没していた『古事記』の権威づけのために「序」が平安初期になって付け加えられたといいます。
 諸家の伝える帝紀と旧辞の誤りを正して一本に纏めようとした天武天皇自身が、同時に性格の異なる2つの歴史書の編纂を命じてしまったという不思議な謎(筆者の多年にわたる謎)に関しては、三浦氏の解説でかなりすっきりしました

 ただ、「序」が付け加えられた時期が、はたして三浦氏が言うように平安初期なのか、712年あたりの可能性はないのかという疑問は残っています。

 三浦説を是とすれば、『古事記』の記述が、6世紀後半以降は系譜と御陵だけ空疎なものになり、しかも推古(在位592~628年)で終わってしまうことも次のように解釈できますよね。
 価値観が激しく対立した激動の7世紀前半から間もない7世紀後半にあっては、現代史に相当する生々しい政治状況を表現できなかったということではないでしょうか。

 

 「序」に関する真贋両説は、いくつも読んできました。その中で、今のところ多数派ではないが、三浦説は筆者にとっては、おおむね合点のいく論考です。

 『古事記誕生 「日本像」の源流を探る』の中で、工藤隆氏は、『古事記』本文は偽書ではなく、「序」は本文とは別に存在していた上表文を併合したものとしています。
 途中までの論考は三浦説と似ていて意を強くしたのですが、最終的に、
 <結論からいえば、『日本書紀』と『古事記』のように「性格の異なる二つの史書」は、天武天皇の意識の中で両立しえたのである。>
と結ばれていて釈然としませんでした。

  

 この三浦説を、筆者の属する勉強会で紹介したところ、根強い反対論がありました。
 学界も三浦説には批判的で、『記・紀』の編纂は両方とも天武が命じたという理解が大勢のようです。
 天武が編纂を命じ、その後、持統も元明も編纂に関与し続け、複雑なプロセスを経て『古事記』が成立したとか、文字表記の面から成立年代を推定する論考もあります。
 こうなると、すべてを整合して着地するのも一筋縄ではいきません。
 「序」偽書説が日の目を見るのはなかなか大変なことです。

 

 ただ、紀元前後から6世紀頃までの古代史を論考する筆者には、真贋の問題をこれ以上、深掘りする気はありません。「序」の書かれた時期が712年か平安初期かという程度の違いなので、『古事記』本文の解読にさほど影響することではありません。

 どの道『日本書紀』よりも『古事記』の方が、律令国家が出来あがる前の政治状況をよく表している可能性が高いことは確かなようです。
 国家の正史である『日本書紀』に偏ることなく、『古事記』の反王権的な記述内容も十分に吟味すれば、古代史の紐解きに寄与するところが大きいといえるでしょう。

 『記・紀』の内容が、文字がなかったであろう4、5世紀頃までの実態を正確に表していないことだけは確かです。まさにそのことを深掘りしながら、骨太の古代史を描くことが当ブログの役割です。
 古代史を論考する立場としては、趣を異にする『古事記』と『日本書紀』は、時期こそ多少ずれてはいても、7~8世紀の統一国家建設を目ざす知識層に受け入れられた貴重な文献という捉え方をしていきます。


 次回は、当ブログで重要なファクターと位置づけている「文字の使用開始時期」について述べてみたいと思います。


参考文献
『古事記のひみつ』三浦佑之 
『古事記を読みなおす』三浦佑之
『古事記誕生「日本像」の源流を探る』工藤隆