理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前後から6世紀頃までの古代史を再考する!

19 古代の天皇の名前と在位

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 ブログがだいぶ進んできましたが、今後の論考において、たびたび登場するであろう古代天皇の表記と想定される在位について述べておきます。研究者による様々な考え方がありますが、当ブログを読んでいただく際の混乱を避けるために、筆者の考え方を明確にしておきたいと思うわけです。

 古代天皇の名の表記
 筆者は、『記・紀』が編纂される7、8世紀の世に、3、4世紀以前の事象が正しく伝承されることはあり得ないとみています。天皇の存在と天皇名についても同様です。3世紀に崇神天皇がいたのかいないのか、4世紀末に応神天皇がいたのかいないのか、今となってはまったく分かりません。文字記録がない中で、唯一の頼りが7、8世紀に編纂され、さまざまな潤色が見られる『記・紀』だけなのですから。

  古代史に関心のある方には常識ですが、そもそも「天皇」という称号にしてからが6世紀以前には存在せず、『記・紀』においても多くの場合、「大王(おおきみ)」と記載されていますよね。
 また、崇神や応神という名称も『記・紀』編纂の時期には存在せず、たとえば『古事記』では、御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにゑのみこと)や品陀和気命(ほむだわけのみこと)という和風諡号で記載されています。
 崇神や応神という名称は、後の世(奈良時代の後期)に、淡海三船が一括撰進した漢風諡号によるものです。
 和風諡号についても、6世紀前半の安閑期以降に、殯宮儀礼の挙行の際、捧呈されるようになったという説もあり、そうだとするとそれ以前の天皇の和風諡号も存在しなかった可能性がある、ということになります。

 

 しかし、矛盾するようですが、古代史に向き合う場合、『記・紀』から離れこれらの名前を一切使わないというのも大変に困難なことです。

 そこで、多くの歴史書と同様にわかりやすさを優先して、当ブログでも古代の歴代天皇については、漢風諡号を使うことにします。

 参考までに(『古事記』による)和風諡号は、
  神武天皇であれば、神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこ)、
  崇神天皇であれば、御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにゑ)、
  応神天皇であれば、品陀和気命(ほむだわけ)、
  仁徳天皇であれば、大雀命(おおさざき)、
  雄略天皇であれば、大長谷若建命(おおはつせわかたける)、
  継体天皇であれば、袁本杼命(をほど)、
  欽明天皇であれば、広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひ)、
という具合です。

 また、天皇ではないとされていますが、神功皇后の和風諡号は息長帯日売命(おきながたらしひめ)です。

 

 当ブログでの称号は、文脈によっては「天皇」としますが、基本は「大王(おおきみ)」とし、ヤマト王権の初期である地域国家(ヤマト国)の時代は「王」とします。
 これに関連して、地域国家の支配者や古代豪族は「王」または「首長」としました。

 以上のような塩梅ですが、実は、雄略より前の古代天皇の実在・非実在を確定するのは本当に難しいのです。研究者によって様々な見解があります。

 例えば一般的には実在したとされる仁徳ですが、本当にそういう人物が存在したどうかは証明のしようがありません。仁徳を埋葬したという古墳から墓誌でも見つかれば証拠になりますが、今は『記・紀』の記述を信じる以外に道はありません。
 一方で、『記・紀』に描かれた仁徳の事績から在位を推定することもできるので、事績も同時代のものなのか、前後にずれた時期のものなのか、そういう論考は可能でしょう。

 

 継体より前の大王やヤマト国の王については、必ずしも出自、来歴、系譜が明確でなく、応神・仁徳の同一人物説や、存在自体に疑問符がつく大王・王もあり、さまざまな謎解きが存在します。
 そこで、『記・紀』に記された大王・王の名は、その時代に存在したヤマト王権(ヤマト国)のリーダーの代名詞の意味合いで使用しました。
 例えば「垂仁は……」と書いても、「垂仁がいたと思われる時代のヤマト国の指導者は……」という意味です。したがって当ブログでは、固有名詞の王の実在について必ずしも確証があるわけではありません。

 


古代天皇の在位時期
 トンデモ説の最たるものは、神武天皇の在位を紀元前6、7世紀に求めるものでしょう。一見してまともそうな古代史本でも、これを前提に論考しているものが結構あるので驚きます。さらに遡るニニギが登場する古代史もありますが、こうなると常軌を逸しているとしか言いようがありません。

 『日本書紀』には年代の記述がありますが、継体より前の歴代天皇の在位年数や寿命を極端にのばし、過去に大きく遡及して神武即位を定めたものです。
 辛酉革命説に基づいて、神武紀元を紀元前660年に定めたという説があります。

 辛酉革命説は、60年に一度の辛酉(かのととり)の年に大きな社会変革が起こるという古代シナの讖緯(しんい)思想に基づくものです。
 推古9年(601年)辛酉より21元(60 ×21=1260年)前の辛酉の年を神武紀元としたようです。
 したがって、これを前提に神功皇后の年代、崇神の年代などをいくら議論しても、きわめておかしな古代史になってしまいます。神武紀元の頃は弥生時代の前半にあたるので、今や古代史学的にも考古学的にも完全に否定されています。

 しかし、平安時代の「延喜」の改元をはじめ、江戸時代までたびたび辛酉の年には改元が行なわれてきたように、辛酉は近世の日本に大きな影響を及ぼしてきたのも事実です。


 古代史の論考には、正しい時間軸での物差しが必要です。

 さまざまな研究者が、古代天皇の在位時期を推定していますが、筆者は高城修三説を採用して、古代史の論考を進めることにしました。『紀年を解読する 古事記・日本書紀の真実』という著書は難解で、筆者がすべてを納得して採用したわけではありません。しかも多くの異論があるのも承知しています。
 何らかの基準が欲しくて、「もっともらしく思える高城説に飛びついた」というのが正直なところです。

 高城氏は、紀年の延長には越年称元法に基づく累積年、春秋年、虚構年が使われ、崇神より前の紀年は讖緯思想が反映されたとしています。氏はこれらを前提として、膨大な分析と細部にわたる推論を行ない、紀年を復元しています。

 同書から主な天皇の在位時期(即位年~崩御年)を抜き書きして示します。

崇神(第10代)・・・284~290
垂仁(第11代)・・・290~307
景行(第12代)・・・307~336
仲哀(第14代)・・・339~342
神功 ・・・・・・・・343~368
応神(第15代)・・・368~407
仁徳(第16代)・・・410~434
雄略(第21代)・・・461~483
武烈(第25代)・・・499~506
継体(第26代)・・・507~531

 これより後の天皇在位時期は、一般的に認められていますね。
欽明(第29代)・・・539~571
推古(第33代)・・・592~628
天智(第38代)・・・668~671
天武(第40代)・・・673~686
持統(第41代)・・・690~697
文武(第42代)・・・697~707
元明(第43代)・・・707~715


 以上によれば、崇神の在位は3世紀後半になりますが、これは筆者の期待値(かな?)と非常によく合致します。

 

 大和盆地の東南にある纒向遺跡は、(邪馬台国とは無関係の)ヤマト王権の草創期のクニ(纒向のクニ)があったところと考えられます。  
 『日本書紀』には崇神の王宮は磯城瑞垣宮と記載され、垂仁、景行と併せて、ヤマト王権の草創期のリーダー(三輪山三代)の王宮が纒向付近に集中したことが読み取れます。
 纒向遺跡の中でもひときわ大きな箸墓古墳は、3世紀半ばから後半と推定されています。この巨大古墳は、周辺地域を固め、盤石な基盤を築いたと想定される崇神の代の産物と考えることがもっとも理にかなっていると思うのですが……。纒向遺跡で3世紀半ばの遺物が出土したからといって、箸墓古墳自体が3世紀半ばのものとは断定できず3世紀末以降の可能性もありますよね。しかしこれはちょっと飛躍しすぎでしょうか。

 

 高城説に基づき崇神の代を3世紀後半とすれば、4世紀は景行から応神の時代、5世紀は仁徳から雄略の時代、6世紀以降は継体や欽明となり、違和感なくうまくつながります。
 雄略以降については、ほぼ歴史の事実と合致するので異論はないでしょう。


 暦に元嘉暦が使われる雄略大王(5世紀半ば・第21代)からは、年代の信頼性が高いとされています。
 実在の可能性が高い雄略の即位(461年)は、ほぼ妥当とされているので、ここから現実的に11代遡る崇神(第10代)の3世紀後半も妥当と言えるのではないでしょうか。 

 実在に疑問符がつく神武ですが、欠史八代もカウントすれば、崇神から10代遡る神武は、紀元1世紀後半から2世紀前半(平均在位を15~20年と仮定)と想定できるでしょう。もしも欠史八代が長子相続ではなく兄弟相続が多かったものとみなせれば、神武は2世紀後半頃の想像上の人物ということになりそうです。あまり意味のない試算ですかね……。

 

 筆者は、とりあえず以上の年代おおよその目安として、今後の論考を進めます。
 繰り返しになりますが、これら天皇のうち、雄略より前の、固有名詞の大王が実際に存在したかどうかは確信が持てません。固有名詞は、その時代のヤマト王権のトップリーダーの代名詞として使います。

 

 

参考文献
『紀年を解読する 古事記・日本書記の真実』高城修三