理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前後から6世紀頃までの古代史を再考する!

32 追補 砂鉄と鉄鉱石 

f:id:SHIGEKISAITO:20190906101631j:plain <花崗岩>

 鉄関連で広範囲に食い散らかし、すこし錯綜してしまったので、製鉄に使われた「砂鉄と鉄鉱石」について再度整理し、確認しておきたいと思います。

 鉄鉱石
 
国内最古の製鉄遺跡とされる岡山県総社市の千引カナクロ谷遺跡(6世紀後半)をはじめ初期の製鉄炉は鉄鉱石を原料とするものでした。
 砂鉄などチタン分の多いものは高温でないと還元できません、鉄鉱石を原料として密閉式の炉内に木炭や原料を入れて点火し、送風をつづけると、半熔解状の海綿鉄が得られます。この中から良質な部分をとりだして加熱・鍛打をくりかえすと純鉄を得ることができるのです。

 

 通説では、日本における製鉄は、吉備では6世紀後半から、出雲では6世紀末までに始まったとされています。
 しかし、弥生時代後期には低品位鉱石による精練は行われていた可能性もある、と言うのは真弓常忠氏です。

 <その証拠の一つが、出雲地方でも、現に神原神社古墳で、景初三年銘の銅鏡とともに多数の鉄製品が出土している。少なくとも3世紀代前半以前より製鉄が行われていたとみてさしつかえない。その場合の原料は、褐鉄鉱であったはずである。なぜなら、先述のようにチタン分の多い砂鉄からは、1525度以上の高温でないと還元できないが、褐鉄鉱は900~1000度の低温でも還元できるからである。すでに青銅器の鋳造を行なって、精度の高い銅鐸さえも製作していた弥生人であるから、当然行い得たことは間違いない>。

 

 古墳時代~奈良時代にかけて、鉄鉱石を用いた製鉄遺跡は中国山地の山陽側、近畿地方・滋賀県で発見されていますが、平安時代以降は、全国的に砂鉄原料に代わっています。

 

砂鉄
 砂鉄は地下のマグマが冷却してつくられた花崗岩などの火成岩に含まれるチタン磁鉄鉱やフェロチタン鉄鉱が、風化作用により母岩から分離したものです。このうち、フェロチタン鉄鉱はチタン分が20~30%と多く含まれ、還元には高温を必要とし、また還元しても鉄の歩留まりが低かったりするため製鉄原料としては不向きです

 

 中国山地で採取されるたたら製鉄用の砂鉄は、真砂(まさ)砂鉄と赤目砂鉄の2種類があります。

 真砂砂鉄は酸性の花崗岩、花崗斑岩、黒雲母花崗岩などを母岩として、磁鉄鉱系を主成分とする砂鉄で、不純物の少ない(チタン分5%以下)優れた鉄源ですが、母岩中の砂鉄含有量が約0.5%と低く、また融点が高いなど使い難い欠点があります。中国山地の山陰側が主産地で、この真砂砂鉄から直接的に鋼をつくる鉧押し法(三日押し法)が開発されたことで、日本刀の原料となる玉鋼がつくられ日本独特の和鋼の生産技術が大きく発展しました。

 一方、赤目砂鉄は、塩基性の玄武岩、安山岩、閃緑岩などを母岩として、フェロチタン鉄鉱の混合したもので、チタンや不純物が多い特徴がありますが、母岩中の砂鉄含有量が約3%と高く、また融点が低いので各地で多く使われました。しかし、たたらで鋼にすることは難しく、もっぱら銑押し法(四日押し法)で銑にされました。

 山陰地区では、真砂砂鉄を使う鉧押し法、銑押し法の両方が行われました。
 出雲といえば玉鋼と言われますが、実際には、鋼が安定的にできるようになったのは近代で、それも全体の2割程度、残りの7~8割は銑と鉧で、大鍛冶場で鉄製品の地金となる割鉄に加工されたようです。

 

 今回、一連の「鉄」に関連する5回分のブログで、筆者が参照した文献は末尾に示す通りです。
 その中で、窪田蔵郎氏と真弓常忠氏については、詳細な分析と独創的な展開が大変参考になり、さまざまに引用させてもらいました。しかし注意すべきは、それぞれ1966年、1985年の論考であり、その後の「見えざる鉄器説」に対する逆風が反映されておらず、また弥生時代の開始年代が紀元前3世紀頃とされているので、この分をバランスさせて読み込む必要があります。

 

 鉄関連で述べたいことはまだまだあるのですが、先を急ぎたいので今回でひとまず鉄関連の論及を終えることにします。

 

 本日は大晦日!
 12月は筆者転居のため筆を執る時間が確保できず苦労しましたが、すべり込みで何とか12月度2回目のアップを果たすことができました。

 令和2年からはいよいよ古代の交通インフラに注力し詳述していきます!


参考文献
『鉄から読む日本の歴史』窪田蔵郎
『古代の鉄と神々』真弓常忠
『弥生鉄史観の見直し』藤尾慎一郎
『弥生時代の歴史』藤尾慎一郎
『たたら製鉄の歴史』角田徳幸
『和鋼博物館資料』
『日立金属 たたらの歴史』