<三室戸寺のしゃくなげ>
第44回ブログで予告した「塩の道」について言及します。
弥生時代、いや縄文時代の昔から、海を持たない地域には、どんな山奥であっても「塩の道」が通っていた可能性があります。その多くは今や役目を終えて消失し確認すら困難な状況です。
痕跡を残している塩の道としては、信州を南北に走る「千国街道」が有名です。
「千国街道」には塩だけでなく、山側と海側でさまざまなものが行き交っていたことが分かっています。物々交換の道でもあったわけです。
もちろんその姿は今とは異なり、当時は刈り込まれた平地がほとんどなく、集落間を結ぶ道路は、草木生い茂る原野や、山間ないしは尾根筋を踏み固めただけの「けものみち」のようなものでした。
ひと一人がやっと通行できるくらいの細々とした貧弱な道でしたが、古代人にとっては欠くべからざる「生活の道」であり「交易の道」だったといえるでしょう。