<佐賀平野を吉野ヶ里遺跡へ向かう(前方は脊振山地)>
令和3年になりました。
初夢というわけでもないですが、正月にふさわしく、「楽しい?」テーマを取り上げてみようと思います。
筆者は、日本の古代史を俯瞰する際、邪馬台国の所在地はもちろんのこと、邪馬台国の存在そのものについてもあまり重視していません。しかし、世の中の喧騒をよそにまったく触れずに過ごすわけにもいかないので、今回から数回は邪馬台国関連ということで綴ってみます。
筆者が「邪馬台国」に関心を持つようになったのは2009年、「一宮めぐり」を始めた直後ですが、奈良の「大神(おおみわ)神社」に参拝した折、箸墓古墳が卑弥呼の墓所だという論拠に違和感を持ったことがきっかけです。
そして、2012年秋、「一宮めぐり」の一環で九州各地を訪れた際、吉野ケ里遺跡と西都原古墳群を見学したことで、いよいよ「邪馬台国」への関心が強くなりました。
その後、精力的に研究しましたが、所在地を大和盆地に比定しようとする考古学者を中心とした強引で不毛な動きに嫌気がさし、今や筆者の中では大きな関心を占めるテーマではなくなりました。
古代史のブログを始めたので、今回、久しぶりに今まで蓄積したことを綴ってみようと思った次第です。