「古墳時代」という時代区分と名称そのものには、いろいろと問題が多いと筆者は考えます。
多くの考古学者は、3、4世紀の古代を説明する際に「古墳のありよう」に集中し過ぎです。これまでの考古学が生き生きとした古代史に結びつかない主要な原因が、古墳至上主義だと思います。
古墳はあくまでも権力者を葬った墓であって、権力を行使した場でもなく、生産活動をおこなった場でもありません。
ともすれば古墳時代というと「古墳づくり」にばかり目が向いてしまうが、それでは古代史として片手落ちです。
むしろ4世紀以降は、特産品の生産や交易を通して多様で旺盛な経済活動が行われた側面を取り上げるべきでしょう。5世紀になればなおさらです。「技術革新の5世紀」ですから……。
今回は、第23回ブログで予告した「交換経済」について掘り下げてみます。
「纒向のクニ」発祥の後、「初期ヤマト国」として版図を拡大する中で、技術者集団が育ち、特産品の交換によって経済基盤が強化され、周辺に対し優越していった様子について考えてみます。