理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前2世紀頃から6世紀頃までの古代史を再考する!

96 ヤマト国の伸張(5)南山城・丹後に影響力拡大

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 「纒向のクニ」が大和盆地内で「ヤマト国」として隆盛する時期を経て、「ヤマト王権」は周辺(盆地の外)へと版図を拡大します。ただし、明確な王権への取り込みと言うよりは、交易を通じて周辺に影響を及ぼし圧を強めたというくらいの方が実態を言い当てているのかもしれません。
 ヤマト王権による版図拡大で真っ先に浮かぶのは「四道将軍の派遣による広域支配」ですが、はたしてそれは史実なのかどうか、まずはそこから確認してみます。

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95 ヤマト国の伸張(4)「さき」地域に重心を移したヤマト国

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 第91回ブログで予告した「さき」地域について言及します。
 和珥氏(およびその前身集団)の勢力圏は、和爾からその北の帯解、大宅、春日一帯まで伸びていますが、その西側に隣接する「さき」地域には、数多くの巨大古墳から成る佐紀盾列古墳群があります。
 それらは、古代史に登場する著名な人物の墳墓に比定されていますが、はたして……?

治定されている埋葬者は考古学の知見と合致せず!
 当地域で、現在、天皇一族の陵に治定されている主な古墳は以下の通りです。

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94 ヤマト国の伸張(3)和珥氏とは? 

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 第91回ブログの補足として、文献上から確認できる和珥氏について言及します。
 和珥氏は、古代ヤマト王権を強力に支えた豪族とされていますが、その実像はあまりよく分かっていません。
 ただ、ヤマト王権の軍事行動に際しては、外征に従事して版図拡大に貢献した可能性が高く、軍事氏族であったとも思われます。

 天皇家との結びつきは強く、葛城氏に並ぶ勢力がありましたが、政治的には表に出ていません。和珥氏の後裔とされる春日氏とその同族の勢力圏は、大和盆地東北部から広く山城・近江にも及んでいますが、葛城氏や蘇我氏のような外戚氏族とは異なり、ヤマト王権の政治的権力者として栄えた形跡は認められないのが大きな特徴です。

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93 那珂八幡古墳

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 2019年2月14日付 西日本新聞朝刊に興味深い記事がありました。以下に抜粋して要約します。
 古墳時代開始期前後(3世紀)に造られたとみられる前方後円墳「那珂八幡古墳」(福岡市博多区)の形状が、九州北部独自のものであることが福岡市の発掘調査で明らかになったようです。
 最古級とされる同古墳の形状が大和地域のものと違うことから、「ヤマト王権に服属した証しとして、地方の勢力が大和の古墳をまねて前方後円墳を築造した」とする古墳時代の構図に一石を投じることになりそう(第62回ブログ)。

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92 古墳設計思想の伝播・不明確な築造時期

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 第84回ブログでは、箸墓古墳の築造時期が、必ずしも通説である3世紀半ば頃とは限らず、4世紀前半までの可能性があることに触れました。
 どちらを採るかで、古代日本における統治のプロセスに天と地ほどの差が生じてしまいます。

 前回(第91回)のブログを記していて、古墳のあやふやな築造時期を根拠にヤマト国・ヤマト王権の版図拡大プロセスを論じる難しさを感じました。大きなストレスですらあります。
 4世紀のヤマト王権の状況を執筆するにあたって、筆者の古墳築造時期への向き合い方を明確にしておかないと、大きな混乱を招くと思ったので、今回のブログで整理してみます。

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