理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前2世紀頃から6世紀頃までの古代史を再考する!

59 当ブログのこれから

 f:id:SHIGEKISAITO:20200515150041j:plain
 前回までで、「古代史に向き合うスタンス(第1~10回)」、「神話や考古学に向き合うスタンス(第11~24回)」、「人・モノ・情報のネットワークと古代の技術・交通インフラ(第25~58回)」について、ひと通り言及しました。ブログをスタートしてから既に1年半

 読者の存在に配慮せず、ため込んだ文献・資料を整理するため、頭の中で思案していたネタを具現化するため、それらを漏らさず文章に落とし込むため、というもっぱら自分向けの理由から、これだけの期間を要してしまった……。
 でも、「理系的視点に基づいた骨太の古代史(第1、2回ブログ)」を描くために、筆者にとっては欠くべからざる重要なプロセスでもありました。

続きを読む

58 『記・紀』に登場する船・舟

f:id:SHIGEKISAITO:20200515144117j:plain  <磐船神社・社殿に覆い被さる巨岩>

 「山は隔て、海は結ぶ」という言葉がある。古代日本にとって海は重要な交通路だった。海に囲まれた日本は、外国との往来は船に頼るしかない。日本列島を取り囲む海や、強い流れの海流・潮流は自然の障壁でもあったが、古代人はこれを乗り越え、盛んな交流・交易を行なってきた。
 シナ大陸が陸運の文明だとすれば、日本は水運の文明だったともいえる。

続きを読む

57 古代の瀬戸内海航行

f:id:SHIGEKISAITO:20200515143851j:plain
 実に多くの研究者が、瀬戸内海は古代から(研究者によっては縄文時代からとも)「歴史的な物流ハイウエイ」だったと述べています。
 確かに多くの文物が行き来し、文化が伝播したことは間違いありません。
 しかし、5世紀以後ならともかく、それよりも前の時代に、他の交易路よりも抜きんでたイメージを持つ「物流ハイウエイ」という呼び方はまことに不適切!
 大規模物流や政治的な合従連衡に瀬戸内海交通が重要な役割を果たすのは5世紀以降のことです(第40回ブログでさらりと触れました)。

続きを読む

56 古代の帆船

f:id:SHIGEKISAITO:20200421104338j:plain

古代日本で帆船は実用に供されたのだろうか
 外洋を手漕ぎで進むのは体力的に厳しい。でも外洋をまたいで往来した証拠はあまりにも多い。こうしたことから、古代日本においても、外洋は帆船で航行したという説を唱える研究者が大勢います。しかし日本では、中世より前に帆を立てて風に頼る航海が安定的にできたとは考えられません。

 現代のヨットは、風上に向かって斜め45度くらいの方向に進むことが可能です。しかし古代船では、平底という構造上の特徴から横流れを防止できず、いかに適帆をしても逆風帆走は困難。つまり順風の時しか帆走できないのです。
 帆走はこの順風が吹くわずかな機会を待って行なうしかなく、実用にならなかったわけです。

続きを読む

55 準構造船(2)

f:id:SHIGEKISAITO:20200417111434j:plain

 前回の続きです。

舟形埴輪のフォルムよりもシャープで軽かった準構造船
 
準構造船は、刳舟(丸木舟)を前後につないで長くした複材刳舟の両舷に舷側板をつけて深さを増し、積載量と耐航性を大きくしたものと定義されます。
 20~30人が乗れた可能性があり、帆船であれば手漕ぎと風力が併用できたともいわれます。しかし古代船は構造上、順風しか受けられないため、帆走は風が吹くわずかな機会を待たねばならず、実用には向かなかったはずです(次回のブログで触れる予定)。

 準構造船のフルスケールの出土例はまだありません。断片は見つかっていますが、3世紀以前の遺跡からは断片すら出土していないのです。筆者は準構造船の登場を過大評価すべきではないと考えます。
 舟形埴輪が、実在した準構造船を忠実に表現しているのか、大いなる疑問を禁じ得ません。

続きを読む