<着陸寸前の機内から海食崖の続く対馬を望む>
紀元前の古代シナや朝鮮半島の人びとが、九州北部を「倭国」や「倭人のクニ」と認識していたかどうかに関係なく、九州北部にムラが生まれ、やがてクニに成長し、それらのクニグニが朝鮮半島と交易をしていたことは考古学的事実です。
玄界灘沿岸のクニの誕生・半島との交易
もともと、日本列島と朝鮮半島の間では、水田稲作の伝来(第60回ブログ)よりもはるか昔、縄文時代まで遡り、おそらく7000年ほど前から交流があったことが確認されています。朝鮮半島との南北交易の中心は半島に近い九州北部であったことは間違いありません。
半島南部からは縄文土器が、対馬・壱岐や九州北部からは半島南部の櫛目文土器が見つかっているのが、その証拠です。渡海ルートは間違いなく『魏志倭人伝』に記載のある「対馬壱岐ルート」でしょう。