理系脳で紐解く日本の古代史

既存の古代史に挑戦!技術と交通インフラを軸に紀元前後から6世紀頃までの古代史を再考する!

34 独立発達か伝播か

f:id:SHIGEKISAITO:20200105120202j:plain <福寿草>

 日本の古代史を論考する場合、「伝播の力」を軽視すると大怪我をします。統治や征服などの政治的手段によらなくても、たとえ人が移住しなくても、細々とした交通路や粗末な交通手段さえあれば、チャレンジャーたちの旺盛な好奇心によって文化・宗教・技術は伝播しました。当然、モノも移動しました。

伝播をめぐる議論
 伝播には、私たちの想像をはるかに超えた力があります。
 はるか縄文の昔から弥生・古墳時代まで、文化・宗教・技術は、どんな僻地であっても、どんなに遠くても、人が住んでさえいれば伝播しました。

 一方、大勢が移動可能で、かつ遅滞なく情報を伝えられる交通路や手段がなければ、政治勢力が侵略したり、支配・被支配の関係になることや、飛び地のように点在する地域国家同士が連合することは、困難だったと考えるべきでしょう。日本列島の統一は、自然の障壁を突破できる幹線交通路や交通手段の整備に比例して、長い時間をかけて進行したのです。

 この二つを峻別することは、日本の古代史を紐解くにあたって殊のほか重要です。筆者の提唱する「理系の視点」です。

 

 伝播に関する小林道徳氏の論考は参考になります。

 <文明の独自の形態を創出するのに、文明間の交流や接触は重要な働きをしている。なかでも、交易という人類発生以来の営みは、きわめて重要な役割を果たしてきた。(中略)日本の古代史記述でも、すぐに政治的観点から解釈するのではなく、その前に、経済的観点から、特に交易の観点から解釈する必要がある。『交易の古代史』を発展させねばならない。さらに、交易ばかりでなく、外交や戦争、民族移動や渡来人の流入、使節や留学生の往来など、さまざまな交流が文明を大きく変動させていく。(中略)文明は、その内部の主体的発展によってのみ形づくられるのではなく、他の文明との交流によって自己自身を形成していくものなのである。>

 

 日本列島人の習俗には南方的な要素が見られるとか、神話の類型の中で日本神話と南方的な神話に多くの共通項があるなどの指摘もあります。
 これら習俗・ことば・芸術・宗教などの文化や、技術に関しては、長い歴史の中で、南方地域から伝播でもたらされた可能性が高いというのは妥当な解釈でしょう。
 細々とした交通路や粗末な交通手段を想定し得る限られた域内であれば、旺盛な好奇心とチャレンジによって文化や技術は伝播するし、モノも移動できたと考えます。日本列島と南方地域との交流や文化の伝播については、いずれ言及する機会を持ちたいと思います。

 以上は、日本列島とそれを取り巻く周辺地域という限られた空間での交流や接触についての論考です。


 しかし、太平洋のような大海をはさんで遠く離れた地域間で、似たような文明や文物が存在する場合には、それは、古代人が海を渡って文明・文物を伝えたとする「伝播説」と、そうではなく、独自に発達したとする「独立発達説」が強く対立し、容易に結論の出ない状況になってしまいます。


「伝播説」と「独立発達説」
 あのコロンブスの「アメリカ発見」よりずっと前から、新大陸と旧大陸との間で交流があったことは間違いないのですが、人類史的に見てもっとはるか昔、例えば縄文時代の頃に、太平洋を挟む新大陸とアジアの間で交流があったのか否かという議論があります。

 象徴的な例は、縄文土器エクアドルのバルディビア遺跡出土の土器が奇しくも一致したという考古学的な論考です。1960年代のことです。これは、縄文時代中期の日本人が丸木舟で太平洋を渡り、南米エクアドルに到達していた証拠であるとする伝播説がある一方で、それを強く否定する独立発達説もあるのです。

 古田武彦氏は「倭人南米交流説」を強く打ちだして一世を風靡しました。しかもエクアドル付近は、『魏志倭人伝』に記された(女王国を去ること4千余里の侏儒国から、さらに水行1年で到る)裸国・黒歯国であるというのです。
 他にも海外の研究者による「太平洋横断伝播説」が存在します。

 


 実際、著名な考古学者であるエミリオ・エストラダ氏とエバンス夫妻は、土器文明の蓄積がないエクアドルに、突然、縄文土器と酷似した土器が出現したことの理由として、日本列島の縄文土器の技術者が海を渡ってエクアドルまでやってきたに違いない、と結論づけています。ある時、舟に乗って海に出た縄文土器技術者が黒潮に流されて漂流、北太平洋海流、カリフォルニア海流にのってエクアドルに漂着し、エクアドルの地で縄文土器を焼き上げたと想定したのです。

 日本列島から南米エクアドルまでは、いわゆる黒潮、北太平洋海流、カリフォルニア海流という、地球上屈指の大暖流が還流しています。これらは、時計回りの大きな連続海流群で、太平洋還流とも呼ばれるようです。

 したがって縄文人たちの舟そのものが海流を乗り継いでこの地に辿り着くことは、論理的には可能性があります。

 問題は、縄文中期というと紀元前3000~2000年の頃です。この頃つくられた舟が強度面からみてエクアドルまでの漂流に耐えられたかどうか、それが疑問です。2011年の東日本大震災の津波で流されたものがアメリカ大陸の海岸で発見されたというニュースは何度も耳にしたので、縄文時代の丸木舟が朽ちながらも、海流に乗って漂着することはあり得るでしょう。

 しかし、第27回ブログでも言及しましたが、縄文時代の丸木舟では太平洋の中に点在する中継地までを賄うだけの水や食物を運べません。
 途中で水や食べ物の補給が叶わなければ、漂着したその時、縄文人は死亡し白骨になっているのではないでしょうか。1点や2点の縄文土器であれば、舟に積まれていた縄文土器だけが無事に大海を渡り、エクアドルの原住民に拾われた可能性が絶対にないとまでは言えませんよね。しかし、現地ではたくさん見つかっています。

 

 では太平洋の渡海ではなく陸行で伝播したのでしょうか?
 古来、アジア人は極寒のベーリング海を渡ってはるか南米の地まで移動したと言われていますが、短期間で移動することは寒冷地の突破など大変な困難を伴うので考えられません。もともと温暖な地域にいた人々が極寒の土地へ行って、生活できるのかという素朴な疑問が生じます。

 長期で考えるなら、進化論的にみて幾世代も経て極寒に順応していったとも考えられますが、その場合アラスカからアメリカ南西部にかけてその痕跡があるはずなのに、それがないのは、おかしいですね。
 しかも、縄文土器の製作技術ひとつとってみても、幾世代も経れば、忘れ去られてしまうでしょう。実際、アラスカや北米西海岸沿いで生活していたなら、そこで縄文土器が発掘されるべきですが、その記録はありません。
 彼らが、その後、気の遠くなるような時間をかけて南下して、南米エクアドルまでたどり着き、その地で突然先祖がかつて作っていた縄文土器を作り始めたという論考にも無理があります。


 それでは、エクアドルの原住民が縄文式土器とまったく似たものを独自に発達させたというのでしょうか。

 筆者は、太平洋渡海ルートであれ、陸行であれ、エクアドルの土器は日本からの伝播ではなく、当時の交通インフラのレベルから考えて、これは万に一つの偶然の一致(独立発達)か、巧妙に仕掛けられたフェイクではないかと思うのですが……。

 

 日本の神話にギリシャ神話と酷似する場面があることもよく指摘されています。このように民族的なつながりのない異なる文明間で見事に類似する神話は枚挙に暇がありません。これらは偶然の一致と言い切れるのでしょうか。人種を問わず、人というものに内在する普遍的な思考のなせる業なのでしょうか。

 

 文物の単純な外形的比較だけでは、「伝播」か「独立発達」かの判断は、極めて難しく、考古学的知見だけでは真実に到達できないように思います。

 

 本件については、最近読んだ『エクアドル』の中で、著者である寿里順平氏が次のように述べて、「太平洋横断伝播説」を一刀両断にしています。

 <縄文時代に可能だった造船・航海技術や、真水や食料の洋上での自己調達などが立証されないと、海流の「乗り継ぎ」が理論上、成立しても人々を納得させることはできない。>

 <日本の縄文考古学者が、現地入りし、土器の文様を調べた結果、縄文とは「似て非なるもの」との印象を報告している。>


 それにしても、(今から30年以上も前のことではあるが)著名な考古学者たちが、なぜこういう過ちを犯してしまうのでしょうか。
 偶然かもしれない考古遺物の外形的一致(完全ではなく、ほぼ一致)だけで、センセーショナルな方向へと引っ張っていくいささかジャーナリスティックな考古学者の姿勢にあるのでしょう。纒向でベニバナの花粉や桃の種が見つかれば、大した検証もなく邪馬台国や卑弥呼の鬼道に結びつけてしまうことも同根でしょう。
 考古学者たちに理系的な視点が欠落しているとしか考えられません。

 

世界四大文明vs中南米古代文明
 世界四大文明とは、言わずと知れたメソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明の4つの文明ですよね。いずれも大河流域の肥沃な平地で花開き発展しました。筆者も世界地理ではそのように習ったことを記憶しています。
 当ブログでも第23回、24回で、生命維持に必要とされる水際の土地の重要性を説きました。でも次のフレーズにあるように、前言は言葉足らずだったと反省します。

 志村史夫氏の著作をヒントに記します。
 四大文明に共通する要素は、大河流域の肥沃な平地、鉄器の使用、車輪の利用の3つです
 でも、四大文明のほかに、古代の著名な文明としてカウントされるメソアメリカ(アステカ、マヤ)とアンデスの中南米古代文明は、四大文明と交流なく発達しました。これら中南米の文明は大河のほとりではありません。
 実は文明の興隆に必要なのは食料の安定供給なんですね。大河流域の肥沃な平地は食料の安定供給を保証する条件に過ぎません。


 中南米の古代文明はこれら3つの要素を必要としませんでした。しかも、四大文明をはるかに凌ぐ石の文明が発達しました。彼らは鉄器や運搬用の大型荷車を必要としなかったのです。基本的に手作業の技術と人力エネルギーのみで不自由なく暮らし、巨大なピラミッド神殿をつくり、都市文明を築いたのです。

 中南米古代文明は、もともと何もないところに独自に現れ、発展した他に類をみない神秘の文明です。したがって四大文明からの伝播で生まれたのではなく、独立して発達したということになるのでしょう。

 

 そのうちの一つ、アンデス文明ですが、彼らは文字を持たずに高度な文明を築きました。人間と動物を分かつ最大の違いは文字の存在でしょう。
 そういえばアイヌやアボリジニも文字を持ちません。第8回のブログでも言及しましたが、文字なくしては感情や意思の表現、伝達は一過性のものとなります。これでは知識の集積は困難です。技術にしても時間と空間を超えて伝達・蓄積することができません。「キープ」という結節縄の存在がありますが、それだけでどうして高度な文明が起こったのか。謎、謎、果てしない謎……。
 

 ところで、世界四大文明という文明史観は日本の独特のもの。欧米にはこんな言葉は存在しません。1952年の高校の世界史教科書で登場したので、筆者もその教科書で学んだことになります。半世紀以上を経た今の教科書には若干の軌道修正の跡がうかがえます……。

 

伝播と交易・通交は本質的に異なる
 交易と伝播を混同してはいけません。両者は本質的に異なります。

 鉄、ヒスイ、土器、農産物・海産加工物、その他の物資は、交易によって移動します。交易はモノの取引であるから時間軸は有期です。しかも、モノを運ぶ交易手段が必要です。交易ルートや船などが必要です。

 これに対し、文明・文化・宗教・技術など、形而上的なものの伝播は、必ずしも有期ではありません。流行のように一瞬のうちに伝わることもあるでしょうが、伝播は少しずつ、数十年はもちろん、数千年もかけて少しずつ広がっていくこともあります。

 どんな僻地でも、どんな難所でも、どんなに遠くても、交易がとても覚束ないような場所であっても、つまり交通手段が極めて貧弱であっても、そこに人が住んでいる限り伝言ゲームのようにして伝わっていくわけです。

 

 軍隊の移動は、伝播とは根本的に異なるし、交易とも異なります。集落があれば交易があったと想定できます。しかし軍隊は、基本的に交易とは比較にならないくらいの人数や物量が一度に移動します。交通路があり、途中に大きな港があり、食料や水の補給ステーションがなければなりません。したがって、そのようなインフラが成立しない限り、戦争の遂行や征服は不可能です。

 政治勢力の移動も同様です。これは古代史を紐解く際、とても重要なポイントとしてマークしておきたいところです。

 

 ほとんど交流のあり得ないような遠隔地で、似たような文明が起こったり、発明があったりします。統治形態にも酷似したものが見られることがあります。

 道路を世界史の流れの中で見てみると、ほぼ2000年前に、互いに関連のない世界の2ヵ所で道路交通網が広がったといいます。
 古代ローマのアッピア街道と秦の始皇帝の道路網です。
 文化的にもこの時代は交流の気配はありません。
 とすれば、強大な権力と広大な領域という2つの要素が道路交通網というインフラ機構を生み出したとしか考えようがない、と指摘するのは、武部健一氏です。
 つまり道路交通網というインフラは一方から伝播したのではなく、独立発達ということですね。

 

 古代史における様々な事象は果たして伝播によるものなのか、独立発達、はたまた偶然の一致なのか、議論が分かれるところです。でも今のところ、それを裁く有力なキーワードは「交通インフラが存在したのか否か……」しかありません。
 発明というものが互いに連絡のない地域で個別発生的に出現するものなのか、それとも伝播によるものなのか、多くの例で子細に研究してみたいところです。

 

 伝播に関連して、昨年4月のテレビ番組で気になっていたことを思い出したので、次回のブログで記します。

 

 

参考文献
『古代日本海文明交流圏』小林道徳
『道路の日本史』武部健一
『古代世界の超技術』志村史夫
『エクアドル』寿里順平